思うほどに平和でない訳 | Amebaのweblog

思うほどに平和でない訳

殊に日本を含め多くの先進諸国は、いっけん平和でも、じつは思うほどに平和ではないように感じます。

戦争と平和という二律背反の対極な見方では、日本は平和です。

しかし、いつの世も殊に国政においては、平和な印象を私は受けません。
これは悲観している訳ではありませんが、これからもそれほど平和な印象ではないと思っています。

今回の日記も今までの日記のフォローアップのような内容ですが、
なぜ、思うほどに平和でないのかを考えてみました。

私は先日来、「Justice」(日本語訳としての「正義」)という言葉を頻繁に使っています。
何故かと言うと、この言葉はいっけん単純なようで複雑だからです。
ウィキペディアなどを見ても、そう感じてもらえると思います。

いや、単純じゃないかと感じられる方は、
日本はかなり平和だと実感されているかも知れません。

例えば、国政ではなく、県政(地方政治)を見た場合、
平和でない印象と平和な印象の地方があるように感じています。

大阪府知事の橋元さんと宮崎県知事の東国原さんを比較してみました。

あくまでも私の印象ですが、大阪の府政よりは宮崎の県政の方が平和な感があります。

そこで考えました。
橋元さんは弁護士という背景があるので、結構Justiceを振りかざすように感じます。
思想信条はともかく、その政治手法と物腰に平和な印象がありません。

そして、東国原さんは、背景に芸人という性があり、
さらにご自身の努力で政治経済を学び直されたということもあり、
笑いと学びがあり平和な印象があります。
(私個人的には、まだまだ芸人色を出し過ぎで好感が持てない部分もありますが。)

「Justice(大義・正義)」は自分の取り分を主張し、人々からその取り分を獲得するという側面がありますが、
「笑いと学び」は人々と分かち合い、また与えるという側面があります。

まあ、何だか私なりのこじ付けの感も否めませんが・・・。

そこで、国政においてなぜ平和な印象がないかというと
国益を守るために、それぞれの国々が自国の取り分の獲得に動くからではないでしょうか。

それが、かつて日本もJusticeを大命題とした植民地政策であり、いわゆる「侵略」です。
(異論がある方々も多いので公共放送のごとく「いわゆる」(俗に言う)の枕詞を付けました)

さすがに現代において、他の国家国民を侵略するなんて行為はありませんが、
自らの取り分を主張するというJusticeは国政の一つの
テーマです。

このテーマがある以上、平和は訪れません。

私たちが民事において、Justice(正義)の名のもとに裁判を起こし
勝訴したとしても平和な気分になれないのを想像してみて下さい。

私は「正義は勝つ」という言葉が嫌いです。
それよりも「正義」を振りかざす必要のない世の中を望みます。

ですから、こんな日記も以前の日記にも「正義感」なんてものはまったく持ち得ませんでした。

正義感というよりも、東京人、関東人にありがちな「長脇差気質」という虫が騒ぐだけです。

大正デモクラシー時代に、その言論が問題になり、投獄され早死にした
新聞論説委員だった大叔父がそんな人だったらしい。(広津和郎「年月のあしあと」より)



※やはり、私はまったく五感が働かないタイプと確信しました。

大阪府を大阪県と記載していたのを今気がつき修正しました。恥ずかしい。。