Justiceとは、ちょうどよい取り分 | Amebaのweblog

Justiceとは、ちょうどよい取り分



大人の事情と、よく言いますが、

国益とはまさに大人の事情に適うかどうかという判断が多いように思います。

昔も今もそれほど平和が訪れないのは、それぞれの国のJustice、

和訳でいうことろの「正義」を振りかざすからです。

もう、皆さんお気づきのよう「Justice」(正義)=「Right thing」(正しい事)とは限りません。

昨夜、就寝前にYahoo!ニュースでこんな内容を目にしてしまい、レビューしています。

空幕長論文「適切でない」=麻生首相-民主も批判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000259-jij-pol

Yahoo!ニュースにはコメント欄があるのですが、

この空幕の言動を擁護・支持する言葉ばかりで、大人の事情を分かっていないなと思いました。

私は右左(みぎひだり)という思想基準にはあまり与さないですが、敢えて言えば右に傾いています。

しかし、この空幕の論文内容というより、この論文発表に応募したという行動を支持しません。

さらに敢えて言えば、空幕は日本の「穏健な植民地支配」という言い方もされているようですが、

これは、かつてのヨーロッパ諸国同様に、結果的にこれは侵略であることには変りありません。

なぜなら、現代において日本がどこかの国家を「穏健に植民地支配する」ことに支持する国が

あるでしょうか?

かつての日本の植民地支配は、侵略じゃないと言いたいのは理解出来なくもありませんが、

これはかつての日本のJusticeであって、やはりこの行為はRight thingではないということは

理解すべきです。

ですから、Justiceは、その国々にとって「ちょうど良い取り分」であり、

正義という訳語より大義くらいの解釈が良いと思います。

大義、大人の事情、ちょうど良い取り分、それがJusticeのように思います。

アメリカ政府のおサルのジョージが、しきりに「Justice」と言って、

今でも戦争をしているのを思い出して下さい。

現代において、かつて日本が植民地支配したアジア諸国が、

かつての日本のJusticeを認めない傾向が強いので、

やはり、前述の空幕の言動は、殊に国際社会においても好ましくないというのが私の意見です。

(かなり飛躍し過ぎですが、相手の主観で性的に不快と感じられたら、セクハラになるのと同様です。)

もう、蒸し返さないのが大人の対応かと思います。

日本としても、そんなつもりじゃなかったとしても、相手が不服に感じられたら、認めるしかありません。

だいいち、Justiceかも知れないですが、Right thingじゃないんですから。

もし、Right thingのためなら、たとえ国家が滅びようが戦争になっても仕方ないかも知れませんが、

これも飛躍し過ぎです。

Justiceのための戦争は恐らくこれからも起きるでしょうが、Right thingのための戦争は起きません。

なぜなら、戦争自体がRight thingではないからです。

Do the right thing.
(まともになれ。)