恣意的な幸福感と幸福観
幸せな子供は算数の成績が低いとの研究発表
幸せでいることができれば、人生は豊かになる。誰しもがそう思っているだろう。しかし、最近の研究で、あ..........≪続きを読む≫
幸せでいることができれば、人生は豊かになる。誰しもがそう思っているだろう。しかし、最近の研究で、あ..........≪続きを読む≫
時に科学者は、恣意的な定義をしがちです。
以前、ある脳科学者の人間の成功や人間性の定義へも疑問を感じたことがあります。
今回は「幸せ」の定義に疑問。
『研究チームは、モーツァルトを聞いた子供たちを「happy」を感じている子供たちとみなし』
『研究チームは、「幸福や嬉しさのようなポジティブな感情は、
注意力を必要とするような試験の成績を下げることが分かった。
もちろんポジティブな感情は、ある場面、例えば創造的な作業をするような時には
よい影響を与えることがわかっている。
しかし、あるシチュエーションでは、そのような感情が悪影響をおよぼすことがあるということを
知っておくべきであろう」としている。』
と記事ではなっており、私は言いたいことは文脈から汲み取れなくもないが
その短期的な情動を幸福と定義するなら、
ちょっと科学者の定義としては恣意的な感が否めないです。
さらに、拍車をかけてこのニュースのヘッドラインも恣意的すぎます。
結局、学術論文(原著論文)を見てみないと真意は分からないですが、
「幸福」に該当する英語が論文にあり、その訳語が「幸福」に相応しいと研究者本人もするなら、
やはり、その定義は恣意的だと思いませんか?
まあ、私やみなさんが、もし幸せなら、定義なんてどうでもいいちゃあ、いいですね。
よって、このブログも、どうでもいいちゃあ、いい。。(タモリさん風に)
ウッヒャヒャヒャヒャ(安斎肇さん風に)
安斎さん、幸せそう(^~^)

↑安斎肇 作
