コドモ+ の同情 Episode2
コドモ プラス ○○でそう簡単に同情をしていけません。
以下は、私のコドモ+ Episode2です。
それは、中学校2年の初夏くらいからの出来事。
私は、東京は武蔵野の面影残る新興住宅地で新聞配達のアルバイトを始めました。
もちろん、お金が必要だったからです。
私は夕刊だけでしたが、私の友人は朝夕と配達をしている者もいました。
ある日、私が八百屋の店先に新聞を届けると
八百屋のおばちゃんがバナナを持って行きなさいと手渡してくれるのでした。
私は、少し躊躇するものの「あ、ありがとうございます」と素直に有難く戴きました。
おばちゃんの顔を見ると、何か私に対して気の毒そうな表情をしているように思えました。
いえ、気のせいかも知れません・・・。
コドモ+新聞配達+バナナ・・・
この組み合わせを一見すると同情の念は拭えません。
私の友人は、クリスマスシーズン、朝刊配達時にある配達先の方から毛糸の靴下を戴いたそうです。
コドモ+新聞配達+クリスマス+毛糸の靴下・・・
この組み合わせ、邦画のワンシーンに使って欲しい光景です。。
その頃、私の友人には4人ほど新聞少年がいました。
友人4人って、ちょっと比率として多いと思いませんか?
そう、私達の家庭は決して資産家ではありませんでしたが、
新聞配達をしなければならない経済環境にはありませんでした。
お金が必要と言ったのは、私達がお小遣いとしてお金が必要だったのです。
当時、私達の周りでは新聞配達がちょっとしたブームみたいなものでした。
さらに高給が稼げるのが、新聞の拡張でした。
私達中学生が一般家庭を訪問して「新聞を購読して戴けませんか?3ヶ月だけでも結構です」と
洗濯洗剤をちょっと多めに抱えていたら・・・・そう簡単には門前払いにも出来ません。
約30から時には50パーセントの割合で購読して頂けたように記憶しています。
営業成績で3割以上なんて優秀な中学生営業マンは、メジャーリーグのスラッガー並みです。
確か、当時、朝日新聞の専売所が一番稼げました。
もちろん、私は朝日でした。
友人に一人、毎日の者がいましたが、私達より薄給でした。
サンケイはさらに安いです。
この辺は、現在の新聞社の勢力図と変化はありません。
その頃、親から小遣いは貰っていなかったのではないかと記憶しています。
だって、生活費以外では、オヤジやオフクロよりも高額な小遣いを使えたはずですから。
そして、私達も中学三年生になるとちゃんと受験勉強をして殆どが公立高校へ進学しました。
なんて、親孝行なことでしょう。
これで、それ以後に繰り返される親不孝は帳消しにして下さい。

