広告屋、言葉の「あや」を考える
このブログの船出が
キャリアにまつわる内容だったので
どうもキャリアや職について引っかかることが多いこの頃です。
リクルート発行のWorks のこの記事が気になるのです。
「勤め上げる」はキャリアデザインの発想をなくす王道だ
そうでしょうか?
キャリアを語る方のの多くはキャリアは人それぞれだと言いながら
いつも言葉の「あや」を発するように感じています。
いいえ、私も言葉のあやは多いと思いますので、自戒の念もあります。
しかし、このインタビュー対象者の言葉は気になります。
「いろんなことを感じて、それならばあと4年で私も役職定年だし、
最後に何か自分で悔いのない仕事をしてみたい、
どっちみち役員にもなれないんだし、意味のあることをやりたいと思ったのね。
それがTQCの粉砕だったり、風上改革だったりしたわけです。」
意味のあること?
そこで考えました。
本当にキャリアデザインを考える上で
「勤め上げる」ことが是か非かなんて言えるのでしょうか?
役員になれそうにないから、自分のキャリアに折り合いを付けて
キャリア(人生の道のり)をさらに前に進むのではないでしょうか。
さらに勤め上げる選択だって大いにありです。
折り合いを付けるのは妥協とは違います。
今、出来ることで最善を尽くす、人事を尽くすことでもあります。
かたや、三年以内で転職をする若年層を問題視する昨今ですが、
勤め上げようが、三年以内で転職しようが、
皆がそれぞれに自分のキャリアを折り合っているのではないでしょうか。
不幸にしてニートである現状の方や
目標があって、いわゆるフリーターの若者、
目標が見つからずフリーターを続けている若者、
皆それぞれが、折り合いを付けて生きている。
前述のような言葉のあやばかりでは
生きていることの重要さ、これすら忘れそうな世の中です。
私は広告会社を数社渡り歩き、現在はフリーランスですが、
これが皆にとって最良なものでもありません。
私も折り合いを付けながら、現在も前に進んでいます。
元コピーライターや元アートディレクターが一つの広告会社で勤め上げ
CEOにまでになった外資系広告会社やアメリカのアドマン(広告屋)がいますが、
こんなキャリアにむしろ私は憧れます。
広告会社の元フォトグラファーで現在はCFO(財務担当役員)の役割を担っている
日本のアドマンだっていらっしゃいます。
「勤め上げる」はキャリアデザインの発想をなくす王道だ。
これが言葉のあやであることを望みます。
しかし、どうやら、あやでもなさそうです。
「お父さんお疲れさまでした」「社長お疲れ様でした」と
家族や部下からそう言われ、「勤め上げ」から引退してみたいものです。
好きでもない花束を、有難く胸に抱えながら・・・
前述の記事にある「勤め上げ」の美徳に風穴をあけるってなんですか?
そういう美徳が未だにあっても然りです。
勤め上げて人生が終わる訳ではない。
考えてみれば、これから第二、第三のキャリア(人生の道のり)を歩むことになるのですから。