東芝さんのオーディションに受かって、本当にすぐにレコーディングが決まりました。

デビュー曲は「子供じゃないの」原題は「子供ぢゃないの」

草野さんが勘違いして「ぢゃ」にしてしまい、それが通用してしまいました。訳詩は漣健児さん、草野さんのお兄さんで、兄弟して、私の恩人になったわけです。

漣のお兄ちゃんはもう亡くなってしまいましたが、今でも当時のことを、昨日のように思い出します。

歌に関する細かい指導はあまり無く、殆どに近いほど、私に任せてくれました。考えてみれば、それも凄いことで、草野ディレクターの懐の深さでしょうか。

私なりに、シンコペーションとか、アクセントのつけ方をアメリカンポップス風に、考えたものでした。

後年、サザンの桑田さんが、弘田三枝子さんの歌い方を参考にしたと言ってくれた時は、何かこそばゆい感じがしました。