休みの日の朝、カーテンを開けると窓から差し込む太陽の光。
「あったかい。気持ちいいな~」
このまま光を浴びながら、心地よさを感じていたい。
そんな穏やかな感覚を感じたのもつかの間、
「いやいや、こんなことしてる場合じゃない」
そんな声がどこからともなく聞こえてくる。
そして、心地よさを感じるのは諦めて、いそいそと”やらなきゃいけないこと”をやりはじめる。
長い間、私は『感じること』を自分に許していませんでした。
特に穏やかさ、心地よさという感覚を。
「そんなことより、やらなきゃいけないことがある」
いつもそう思っていたから。
今ここで感じていることには目もくれず、いつも今”やるべきこと”はなにか?を考えていました。
want は置き去りにして、should や have to を追うことに必死。
「もっとやるべきことあるでしょ」
「そんなことしてる場合じゃないでしょ」
いつから聞こえるようになったすらわからない、こんな声に急かされて。
平日、仕事に行くために身支度をしている時も。
仕事中も。
休憩中も。
家に帰ってからも。
休みの日でも。
朝起きた時から寝るまで、その声はいつも私の頭の中をこだましていました。
そして、胸の辺りではなんとも重たいもやもやした感覚をいつも感じていました。
どうにかしてこの感覚を無くしたい。
解放されたい。
そうは思うけれど、どうしたらいいかがわからない。
そんな状態の中で、なんとかしたくて必死で、手当たり次第に情報を集めていた時のこと。
その私の中でこだまし続ける声の正体を知りました。
それは、これまでの過去の経験をもとにできあがった私の思考によって生み出されているものだったのです。
私の頭の中の声は、実は私自身の声ではなかったのです。
そのとき、ずっと胸のあたりを覆って消えない重たい感覚の正体もわかりました。
それは、私がこれまで思考を働かせるのに必死で感じることをおろそかにしていた間に、感じきれずに置き去りにしていた感情のかたまりでした。
さらに、そのかたまりは、私を苦しめるために身体に留まっていたものではありませんでした。
私が、感じることを忘れている、ということを教えてくれていた。
「もっと感じて」と訴えていたのでした。
このことに気づいてわかったこと。
それは、私がずっと”頭だけで生きていた”ということです。
知らないうちに、
考えることでしか、状況は変えられない。
考えることでいろいろなことを解決することができる。
だから、感じたことを大切にしようなんて考えもしなかった。
だから、不快な感覚は感じられないまま私の中に留まり、快は感じられないまま消えていくしかなかったのです。
このことに気づいてから、私は身体の感覚に意識を向けるワークをはじめました。
特に意識をしていたのが、頭の中でいつもの声が聞こえてきた時の感覚です。
いつもの声が聞こえてきたら、まずはそのことに気づく。
それから、その時身体の内側で感じているなにかしらの『感覚』を見つけます。
その感覚に集中してみると、いつも大切なことを教えてもらうことができました。
時には、過去の記憶を辿ることに繋がって、その先で涙がとまらなくなったり。
怒りが溢れてきて、身体が熱くなることも。
これまでとは違う視点で出来事を見てみたら、思いもよらなかったことが見えてきて、感謝の気持ちが溢れてくる...
なんてこともありました。
そんな感覚に気づいて、触れていく時間を重ねていたある日の夜、横になっていた時でした。
これまで、長い間ずっと胸のあたりを押し付けるように存在していた重たいもやもやが、ふっと消えたのを感じたんです。
灰色のもやが晴れて、クリアになった。
軽くなった。
解放された。
そんな感覚を感じたんです。
突然のことだったので、とてもびっくりしました。
でも、確かに、間違いなくずっとずっと感じていたもやもやが消えた。
その消えた感覚を再確認できた時、驚きが喜びに変わって、嬉しくて涙が溢れてきました。
今でも、あの時の感覚は忘れられません。
ずっと頭だけで生きてきた私が、身体の感覚に呼び戻された出来事でした。
今日1日の中で、あなたはどんなことを感じましたか?
そのまま感じることを自分に許せていますか?