仕事を選んだ理由に、
強い意志とか、曲げられない理由なんてなかった。
たぶんここじゃなくても、それなりに幾つかの意義を見出して
仕事をしてたんだと思う
私が仕事をする第一の意義は
「社会への恩返し」。
こんな理由は、どんな仕事にだってついてくることだ。
今日受けた一本の電話。
それが、仕事に対する新たな思いを持たせた。
内容を反芻しながら帰り道歩いてたんだけど、
ふと、「ここにいてよかった」って思った。
仕事上、「世の中いろんな人がいるな」って思うことは常々で、
あきれ返ることも、頭にきて、水をかけてやりたくなることもある。
口論になったこともあるし、
諦めて、話が終わるのをただ待ってたこともある。
だけど、いろんな人に接する中でも、
本当に苦しくて、大変で、どうにもならない状況で生きている人たちの声を聞いたり、
多角的に考えようとしたりするのは、今の職種だから経験してるんだと思う。
「なんとかできることはないか」って腐心したり、
どうにもできないことにもどかしくなったりする。
電話をかけてきた人は、いわば、「暇なおじいちゃん」なんだけど、
色んな制度や歴史についてものすごく勉強していて、
それを踏まえた上で、自分の世代で苦労している人たちのこと、
これからの日本のことを考えて、努力してる人だった。
話を聞いたことで、ここ数年で忘れかけてた
熱い気持ちとか、思ったこととか、これまでに学んできたこととか
なんかそういう諸々を思い出して、
もやっとしてたものがまとまって、すっと引いてった気がした。
おじいちゃんの話の中に出てきた話題で
「それは、強者の理論だよなー」って思った部分があったんだけど、
近頃、「強者の理論」的なものを察知できなくなっていた・・・
というか、あまりそういうことを考えなくなっていた自分がいることに唖然とした。
そうそう、いわゆる『勝者の論理』・『強者の理論』的なものは嫌いなんだった。
「お前の努力が足りないからそうなるんだ」
「弱者になるのは自己責任だ」
確かにそう言われても仕方ないと思う人もいます。
ろくに考えず、努力もせず、好き勝手生きてきたくせに、
困ったからと言って世の中、人のせいにして、権利ばかり振りかざす人も、
弱いことを盛んに主張して不当要求しようとする人も嫌い。
だけど・・・
努力しても報われなかったり、
不運ばかり続いたり、
自分ではどうしようもないハンディを負ったり・・・
そういう理由で弱者になってしまう場合も往々にしてある。
そして、そんな中でも懸命に生きてる人たちもいる。
そういう人たちに対して、
「努力が足りない」
「自分が必死で得てきたものを社会還元するなんて絶対に嫌だ、
私はこんなに努力した。
努力しなかったあなたたちが苦労するのは当たり前。」
などと言って一刀両断に切り捨ててしまうのは、
あまりに人の立場ってものを理解できなさすぎるんじゃないか。
もしかすると、特段「強者」でもなんでもない私は、
それこそ死ぬ思いで努力して、
栄光と富と名声を得た人の気持ちはわからないのかもしれない。
ただ、言い分はわかっても、そんな風に考えるようにはなりたくない。
(もしそんなことを言い出したら、目を覚まさせてください)
「勝者」が生まれる背景には「敗者」がいる。
自分のことばかり考えて、裏にあるものに目をむけられなくなる自分なんて嫌だし、
そんな自分には幻滅しか感じられないのが今の自分。
私はきっとある程度恵まれて生きてきてるんだと思うんだけど、
恵まれてるからこそ、
言い方はあまりよくないかもしれないけど、
ちょっとの余裕があるからこそ、
苦しい人たちのことを思い、
できることをしたいって思う。
「社会への恩返し」
なんて、とても抽象的かつ壮大に聞こえちゃうけど、
小さなこと、できることから、くらいの気持ち。
だって私が持ってるのはあくまで差別的な愛でしかないし、
全てを投げ打って何かするなんていうこともなく、
中途半端なものなんです。
だけど、
家族や友人を始めとする多くの人たちや、
脈々と受け継がれてきた社会があってこそ今の自分がいるから、
私を育ててくれて、今なお存在させ、色々と与えてくれてるこの社会に
得たものを還元していけたらいいなっては思ってる。
仕事においても、日常においても。
それを忘れずにいたい。
なんか熱くなっちゃって話題がとびとびかもだけど、
とりあえず思ったことを・・・。