『直往邁進』VOL.304
いつもありがとうございます

『人生は自分の手で、どんな色にも塗り替えられる』
沢田美喜
これは、戦後『エリザベス・サンダース・ホーム』を設立した沢田美喜さんの言葉です。
どんなに辛いことがあっても、夢や希望を捨てずに
大きな意思を持って新しいことを始める。もしくは挑戦する。
心の切替が出来れば人生は変わり、思うが侭のあたらしい人生が始まる。
逃げてはいけない。
前向きに心のベクトルを切り替え、チャレンジする。
与えられた仕事はやり遂げる。強い意志が必要だ。
何かを始める為の明日は『常に第一歩なのだ』
未来の色を決めるのは他人ではなく自分次第なのだ。
感謝
ヤマウチ
沢田美喜さんとは・・・
1945年8月、戦争が日本の敗戦で終結、9月に占領軍の進駐が始まりました。
それから10か月が過ぎた頃、川に浮かぶ髪のちぢれた黒い嬰児、
街に捨てられた青い目を半ば開いた白い肌の赤ん坊の死体、
どぶの中から引き上げられた包みの中の小さな死体・・・・
こういった光景が、頻繁に見受けられるようになりました。
いわゆる「敗戦の落し子」、すなわち、進駐軍と日本女性の間に出来た混血児たちでした。
この悲惨な状況を見るに見かね、混血孤児のための養育施設
「エリザベス・サンダースホーム」を神奈川県大磯に’48年に開設し、
後半生をその福祉・教育に捧げた人が澤田美喜。
当時は、そういう子供たちに対しての偏見や差別が満ち溢れていました
澤田美喜、この「美喜」という名前は曾祖母・美和と祖母・喜勢から一字づつもらってつけた名前。
旧姓岩崎。 祖父の名前は、三菱財閥創始者・岩崎弥太郎。
名付け親は、その弟、二代目総帥・岩崎弥之助。
そして、父は三菱財閥三代目総帥岩崎久弥。
この久弥の三男三女の長女として生まれました。
祖母・喜勢から寝物語に祖父や父の話を聞いて育ち、それが後の人生の道しるべともなり、
小さい頃より妹たちに比べ男まさり、豪気で行動の人“女弥太郎”はまさに祖父の隔世遺伝?
3歳のお祝いで母の実家保科家に行った時、女中が顔をつくづく眺めて
「まあ、おかわいそうに、お母さまのお小さい時よりはずっとお落ちになる・・・」
また、祖母の大切にしていた金魚を握りつぶし
「もう、お美喜は連れてこないで・・・」
従姉たちが次々と華族の子弟と結婚していく中、外国へ行く事に憧れ、華族嫌いだった彼女は
加藤の伯父と幣原の叔父が持ち込んできた話、外交官・澤田廉三との見合いを
従兄である岡部家で行い、そして結婚。
戦前は外交官夫人として海外生活を送り、三男一女の母となりました。
(三男・晃は戦死)
立派な人ですね。感謝