自分を大事に | 離れていても心は1つ・・・だと良いな

離れていても心は1つ・・・だと良いな

自立して歩ける子になりますようにとの思いを込めた我が子”あゆみ”

3歳で発達障碍を告げられたあゆは今、親元を離れて寮暮らしをしています。

あゆの成長を身近に見守ることができない今、自分があゆにできるのは何なのか、問い続ける日々になりそうです・・・

このコロナ禍、非常識とは分かりつつ、

私は恩師に会いに行ってしまった。

 

今までのこと

今までの思い

今の思いとジレンマ

 

話しながら、自分の中で整理がついていくのを感じた。

 

今、君がしていること、現状に選択肢がないのであれば、

それをすることは我慢ではなく義務だ

 

考えても仕方のないことは今は考えるな

今がベストだと信じろ

 

もっと自分を大事にしろ

自分だけの時間を持て

 

時に痛ましそうに

時に涙を浮かべながら

彼はその言葉を繰り返した。

 

あゆに会えないことへの我慢

仕事上での我慢

 

我慢だと思うからやりきれないのか

それは今の自分に架せられた義務なのか

 

あゆの人生に、勝手にレールを引いてしまっていること、そのレールをさらに先まで伸ばそうとしていることへの申し訳ない思いもある。

障害があろうとなかろうと、一個人の人生なのに、良いのだろうかと思う。

自分が生涯を終える時に、あゆに対しやれるだけのことはやったという自己満足が欲しいだけなのではないかとも思うのだ。

 

もし私が引こうとしているレールからはみ出したいとあゆが考えたとしたら

それを私が感じ取れたとしたら

私はそれを素直に受け止められるだろうか?

 

いや、

帰りたいとの思いを叶えずにいる時点で

レールから逸れることを許していないってことか

 

あゆ自身が望んでいない義務を押し付けて

私が自分自身を大事にするなど許されないという思いもある

あゆに対する罪悪感は拭えない

 

それでも、今は自分を大事にするべきなのか

あゆが帰ってきた時に

互いに元気でいるために

 

そう考えても良いのだろうか・・・