今日、千葉県市川市にある海厳山徳願寺へ行ってきました。
この寺では毎年11月16日のお十夜会の日に限り、寺宝の絵や書などを一般公開しているので、それを観に行ってきました。

 

新聞記事
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立派な寺です。
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なんでもここは徳川氏ゆかりの寺で、徳願寺という名も徳川家の「徳」に本寺の勝願寺の「願」をとり「徳願寺」と名付けられ、1610年に建立されたそうです。


 

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山門には立派な仁王像が
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大きく立派な彫像が何体も置かれています
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本堂
本尊は、北条政子が運慶に作らせたという3尺2寸の阿弥陀如来像だそうです。
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寺宝公開はきれいな社で
勿論、土足厳禁で撮影も禁止です。
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大勢の人が群がっていました。
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円山応挙の画は他に「三人美人図」「富嶽図」「鯉魚図」等、何点も展示されていましたが、やはり幽霊画には目が釘付けになりました。
撮影禁止だったのでネットで探してみました♪
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か細い手と白い顔、耳元まで裂けた口が不気味です。
なんでも応挙が千葉県市川市の旅籠に泊まった際、廊下で胸を病んでいた女性とすれ違い、その驚きがきっかけでこの画を描いたとのことです。
何人かの手に渡ったこの画は持ち主に不幸が続いたためこの寺に預けられ、今に至るそうな。本当かどうか知りませんが、なにか起きても不思議じゃない気分にはさせられますね(^^;)

 

武蔵の筆によるとされる「八方にらみのだるまの絵」
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どこから見ても達磨が自分の方を睨んでいるとのことで「八方にらみ」と付けられました。


 

宮本武蔵が僧衣で全国を廻っている時に藤原玄信と名乗っていたそうですが、その時に行徳の徳願寺に宿泊していたことがあり、その縁でこの絵と書を譲り受けたそうです。
また中山競馬場で有名な船橋法典で開墾し、農業に従事したという伝説が残っています。
吉川英治の小説では船橋法典で農民を襲う夜盗を切り伏せた事になっていますが、これは作者の創作だとの説が一般的です。


 

これは宮元武蔵の石地蔵だそうです
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新免宮本武蔵藤原玄信二天道楽大徳菩提と刻まれています
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武蔵の供養塔
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まあ、伝説の域を出ないものですから本当に武蔵の作かどうかはわかりませんが、「宮本武蔵」と聞くだけで胸が高鳴りますね。子供の頃からの憧れでしたから。
円山応挙の画もそうですが、良いものを見ることが出来て幸運でしたv(^-^)v