誕生日


1999年8月3日 0時1分 ミッキーは、私達夫婦の第一子として誕生しました。


出産に立ち会った夫は、産まれたばかりのミッキーを抱き、「この子を自分たちの命にかえても守っていこう」と言いました。


私の人生の中で、最も輝いた1日でした。

一生忘れることはありません。


被害に遭わなければ、ミッキーは今年、23歳。


社会人になっていたと思います。

ミッキーの同級生が、社会に出て活躍している話を聞く度に、嬉しく思いながら、見ることが叶わない成長したミッキーの姿を想像しています。


ただ、それも、年々難しくなってくることが哀しくてなりません…


何故こんなことになってしまったのだろう…



昨日は、ミッキーが産声をあげた時刻に、仏前で手を合わせました。


23歳の誕生日ですが、浮かぶのは生前の15歳の姿…


私はあの日、確かにミッキーをこの世に産んだはずなのに、何故、居ないのだろう…

涙が溢れ出し仏前で一人、声を殺して泣きました。

(その後、リビングで何度かミッキーの気配を感じました。心配掛けたかな。ごめんね。)



突然、他人に、愛する子供を奪われる苦しみは、言葉に例えることはできません。


凶器が車の場合、想像力に欠けたドライバーの危険な運転行為で、何の落ち度もない尊い生命を奪っても、多くが過失。


悪質な加害者ほど狡猾に立ち回り、厳罰を免れ、刑の執行が猶予されれば、まるで終わったことのような態度です。反省も更生もない加害者の態度に、遺族は更に傷口をえぐられます。


遺族に終わりなんてないのに…


どんなに頑張っても、奪われた命は戻りません。

奪われた日常を取り戻すこともできません。


この先も一生、樹生の居ない食卓の空席を埋めることはできないのに…



8月3日、今年も家族で、ミッキーが生まれてきてくれたことに感謝しました。

ミッキーの好きだった春巻をつくり、ケーキはミッキーが好みそうな、シンプルなチーズケーキを選びました。



食卓のミッキー席に置いた15歳のままの遺影にむかい、「おめでとう」と、言える気持ちにはなりません。



ミッキーを喪ってからというもの、ただ目の前のことに、少しずつ取り組んできました。


被害が被害を生んだことも何度かありました。

事件から7年、加害者が救護義務違反で起訴され、やっとの思いでスタートラインに辿り着くことができた、そんな気持ちですが…先は見えず、とても不安です。


まずは家族の健康を第一に考え、できることを少しずつ頑張っていくしかありません。


ミッキーに逢える日まで…



週末は長野へお墓参りに行ってきました。



あまりの暑さに、庭仕事は殆どできませんでした。猛暑の中、「ミッキーの樹2」が、逞しく成長していている姿に、元気をもらいました。



宝石のようなミニトマトや、美味しそうなメロンをいただきました。




夕方、空か綺麗でした。

ミッキーからのプレゼントかな?と話しました。

撮影次女:2022.8.3の空



ありがとうございました