夢の徒然   <信ずる者は救われない夢>        

夢の中で、いつまでも波の音が耳元に響いていた。
いくつもの混濁した思考の流れが溶けて混ざり合い、暗い海は、
青鈍(あおにび)色をしていた。
まとまりのつかない想いだけが、波の音に揺られながら漂っていた。
暗い海の波間に浮かぶ溺死者の顔が、混沌とした流れの中で揺れていた。

一つの想いは、『信ずる者は救われない』と思っていたことだ。
”信ずること”とは、「善いことをすれば、必ずその行いは報われる」ということ。
善いことをすれば、それを神様が見ていてくれる。(・・・だからきっと、必ず
その行いが報われるように取り計らってくれる。)そんな風に言い聞かされて
きたように思う。そう信じて生きてきた。
でも、その善いことがどんなことであったのか、いつかすっかり忘れ去って
しまった。

 

「善い行いは、いつか報われる時がくる。」
確かに、因果応報の信者にとっては都合のいい考え方だ。報われる日は、いつか。
明日か、三年後か、百万年後か。
日頃から善行を心がけて、そのように振舞っていると、いつかはよい事が巡って
来るのかもしれない。籤を引くときに大吉の結果を期待してしまうようなものだ。
もうそれは信仰に近い。
善いことを為し、いくら楽しく幸せな時間を過ごしても、時は留まることなく
無常に流れ過ぎ去っていく。

あれから、タイムトラベルでもしたように光速の宇宙船に乗ることもなかったが、
善いことを為したことも忘れ、その行いの報いがあることすらすっかり忘れていた。
本当は一瞬のように感じられる時の流れのはざまに、浦島効果のシャワーを浴び
て一生の時が過ぎてゆく。

 

もしかすると、たまたまよい事があって運がついていると思うこともあれば、
何故か厭な事ばかりが続いてしまうこともある。
ひょっとすると、それは、よい事も、悪い事も、善行や悪行の何らかの報いの
顕れなのかもしれない。
すっかり忘れてしまった行いの数々は、何の報いであるのか、さっぱりわかり
ようもないのだが。何処かで神様が見ていて、そうなさっているのだろうか。

善いことを為したことは、死んで「あの世」で報われるのか。
それでは信ずる者は「この世」で救われない。
ましてや、前世の悪の行為が、現在に悪の結果をもたらしているとでもいうのか。
生きて死んでゆく生命の不思議。輪廻転生して、廻りめぐって応報があるのか
どうかは知ない。
「あの世」のことは誰も知らない。生きとし生ける者は、誰も死んだことがない。

 

 

イメージ 1 [夢をかなえるゾウ]

 

善いことをすれば、いつか報われるときがくる。(それは、予言のようでもあった。)
報われる時を期待してはいけない。

それは善いことだったのか、自分で善いことだと思っているだけなのか、

さぁ、それはわからない。
悪いことではなかっただけで、見返りを期待するようなことではないのではない

のか。首を長くして因果応報を待っていても期待するものは現れない。

千年の後、一億年の後、「善い行いの報い」が現れてくるか。だから、「この世」

では、信ずる者は救われない。


信じるからいけない。

何も信じるものがなければ、裏切りも、期待はずれもない。

誰も恨むこともない。

何も報われることもなければ、天罰が下ることもない。

もしかすると、意識的に「善い行いの報い」を期待して行動していたら、
きっと自分の遺伝子は、自分のコピーを残すのに都合の良いようにふるまい
始めるだろうか。

遺伝子の都合の良い乗り物に仕立てていくために、その利己的にふるまう性質を
自らの中に作りだそうとし続ける。そうして、「善い行いの報い」を信ずる遺伝子
の乗り物としての人が生き延びることで「利己的遺伝子」が増殖し、その結果、
利己的にふるまう遺伝子が作用するように進化していくのかもしれない。
そして薄気味悪いことに、いつか、遺伝子自らが自分に都合の良い遺伝子を発現
させるような働きを持つようにまでなっていく。

 

自分の善行と思っていたことを振り返ってみると、あのときのあれは、本当に
善いことだったのだろうか。その報いを期待し過ぎてはいなかったか。
利己的なふるまいは、他人に影響を与えずにはおかない。
他人に影響を与えて、物事は先に進む。
現実は、夢破れ、たぶん、「利己的遺伝子」が都合の良いようにふるまい始める
ことも、遺伝子の都合の良い乗り物に仕立てられることもなかっただろう。

夢の中では遺伝子の性質は変わることはない。
ある時、突然変異を起こし、「善い行いの報い」が降って沸くこともないだろう。
かろうじて信じていた夢もまた、生死長夜(しょうじ じょうや)の中で雲散
霧消してしまった。

 

私は何処か、海辺の近くにいるようだった。
漣が打ち寄せては返していた。私は、広々とした渚の浜辺に、釣竿を肩に掛け、
腰に魚籠までぶら下げて突っ立っていた。
足元の砂浜には、亀が這い上がってきたような引きずった足跡が長々と海に
続いていた。

 

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            いつ咲くや 春雪なぞる 桜哉                    2010.2月

イメージ 1 [春の雪]

     桜は、いつ咲くだろうか。
     毎年、桜の開花に気を揉む。巡る季節の歳時記だ。
     低気圧が列島の南岸を掠めて、春の雪が薄っすらと積もった。
     気がかりな桜の枝にも、なぞるようにして雪が積もっていた。
     いつか咲く 春雪なぞる 桜哉。

   夢の徒然     <無意識の夢の時間>         

      
真っ暗闇の寝床の中で目が醒めた。
目を開けていても、目を瞑ってみても、目の中は真っ暗闇だったから、
目は醒めてはいなかったのかもしれない。
暗闇の色がわかるほどに、漆黒の色が瞼の裏に映っては消えていった。
夢のまた夢の中で、寝ているのか、醒めているのか、はたまた夢の中の夢
なのか、さっぱりわからなかった。
唯一わかったことは、黒い色というのは、やたらに想像力を掻き立てるものだ
ということだった。
目をつぶっても開いてみても真っ暗闇だったら、このまま死んでしまっても
わからないような気がしていた。

 

ゆっくりと静かに無意識の時間が過ぎていった。
意識が無いのだから、無意識の時間が過ぎていくこともわからないだろうに、
時間の予感だけが過ぎていった。
無意識の世界には、時間がないのか、それとも無限の時間が流れているのか、
それもよくわからなかった。

 

無意識の世界で誰かに会いそうな気がしていた。
いつもの通り、平気で寝床につき、何のわだかまりもなく睡魔の思うが侭、
スヤスヤと眠りに落ちて仕舞った。眠ってしまえば、どこか自分ではわからない
所に行ってしまうのに、生きて再び起き上がることの方が不思議だ。

 

きょうを生きて、夜の闇と共に死に、
再び新しい朝になって、
新しい自分として目覚めて、
生きてゆく。
昨日の自分は、今日の自分ではない。
無意識の中で、昨日死に、
昨日と同じではない自分が生まれ、
今日を生きてゆく。
まるで輪廻転生を毎日繰り返しているように。

 

 

イメージ 1 [無意識のオーロラ]

 

知らないはずの無意識の入口は、蝦蟇蛙のように大きな口を空け無間地獄に
開かれていた。其処へ入ることはなんとも容易く、無頓着すぎるくらいに
開けっ放しで、無防備に鍵も掛かってはいなかった。
無意識の扉は、ただ、何も考えずに、素直に目を閉じて闇を受け入れていく
ことさえできれば、やがて開かれる。
 
無意識の扉の脇に、麻袋をかぶって横たわり、口を空けて寝ている人がいた。
死んではいないようだったが、音もなく無意識の扉が開き、中に落ちていく
のが見えた。
思考は、「顕在意識」によって、感情は、「潜在意識」によって、感覚は、
「無意識」によって支配されている。私の意識のたった4%の顕在意識によって
思考が作り出されているとすれば、あとの96%は、潜在意識と無意識の世界に
いることになる。

物事は、つまるところ、知らないうちにそうなっていることのほうが多いのだろう。

”気を失って”眠っている間は、96%の無意識と潜在意識によって支配され、

かろうじて命が繋がっているらしい。でも、ひょっとすると、ぐっすり眠って

意識がなくなっているうちに、体の何処かで絶えず生死の判断が下されているの

かもしれない。
眠っているうちに、間違った判断をしてしまっては困るなぁと思う。
密かな企てをしたり、それを実現していこうとする精神が働かない無意識の時間

に、生と死のドラマは奏でられている。

 

泣こうが喚こうが、私達の生と死は、何処かで着実に仕組まれているらしい。
60兆の細胞でできた生命の塊を生かすか、殺すか常にどこかで思案し、算段して
いるのだろう。
その選別に善人も悪人もない。水面に落ちた木の葉のごとく、ただ流れてゆく
ものに乗り、澱みなく流されていくだけなのだ。細胞さえも、自分も知らない
意識の及ばないところで、残すべきものを残し不用なものを選別して、計画
されたとおりに実行され計画的に死を迎えている。

 

意識の奥底の末那識や阿頼那識、そのまた奥底にある無垢識阿摩羅識はそのことを
知っているのだろうか。生死の闇を無意識の奥底で末那識が感じても、阿頼那識は
答えないかもしれない。
無垢識阿摩羅識が感知することも無かったら、涙は頬を伝うことも無いだろう。
ついには、感情を失い、なんの変哲も無い日常の風景の中を行ったり来たりして
気を揉み、命を擦り減らす。それが順風満帆のように見えたとしても、薄っぺらい
無防備な皮膚の下では、確実に死に至る仕組みが働いている。

 

普通に感じている光や音、においや味、寒暖の空気の刺激、何かに触れる感触。
無意識の中で、自分の感覚器官の働きを確認しながら外界からの刺激を感じて
みる。体中に張り巡らされた視覚、聴覚、嗅覚の器官が働き出し、空気は、肌に
触れ、温覚や冷覚、痛覚として伝わり、朝の空気が体を包み込んでいることを感じとる。それらによって起こる意識は、美醜を分け隔て、良し悪しのえりごのみ、
愛し憎しを感じとって心の働きが生じる。
感じとった心の働きは、顕在意識によってどんな思考をもたらし、どんな言葉が
発せられるのだろう。

 

この世さえ、無意識によって創造された幻影であるかもしれない。
そうであって欲しかった。それが、その場限りで消えてしまう、儚い”一場之春夢”
であったとしても、それでよかった。
酒に酔って、思考停止し、感覚を失い、無意識の世界に遊ぶ方がよっぽどよかった。
それが、酔っ払ったように、また夢を見ているような心地で、何も為すこともなく、ぼんやりと一生を終わるような”酔生夢死”のものであったとしても。

 

意識の内にすらなかった存在が、ある日、外界の扉を開き、視覚の中に入ってきた。
呼び覚まされた感覚は、潜在意識にあった感情を刺激し、いやがうえにも高まった
感情は、都合よく思考を操るはずだった。
君の「意識」は、君の外界である私からの刺激を感受して、君の神経系にどんな
ふうに伝えられたのだろうか。
感覚を研ぎ澄ますし、思考、感情、感覚を同じ方向に向けて、それらが完全に
一致しているとき、何ものの妨げもなくハイヤーセルフの意識が広がったはず
なのに。

 

自己を真に理解することができれば、魂、神、黄泉(よみ)にも通じて、宇宙の
根源にも関わることができる。
きっと、君と私の魂が同じ方向を向いていたら、望みは成就したのだろうと思う。
人間関係を良くするエッセンスが、「近づくこと」、「許すこと」であるならば、
今は、君と私の隔たりを埋めるどころか、さらに遠ざかっている。
近づいてみるつもりもないのだから、尚更人間関係が上手くいくはずもない。
怒りがあれば、近づきたいとは思わないだろう。意識の何処か、潜在意識の、
無意識の中の何処かに隠れ潜んで芽生えてしまった怒りがあるのだろうか。
怒りがあれば、私には許すということが必要なのかもしれない。
心の中で語りかけるもの、ハイヤーセルフは何と囁くのだろうか。

 

おとなしく抵抗さえしなければ、僕は君のもとにやってきただろう。
君に時の隙間さえあれば、無意識の空間が迎え入れてくれたことだろう。
迂闊な隙ではない、ほんの少しでも気持ちの余白があれば、物事は変わっていた
だろう。私は、そう思う。
『時間が無い』と言うあなたの”時間”とは、きっと、君の”時間ではない時間”を
誰かのために有効に使いたかっただけだったのだろう。
でも結局のところ、縛られた無意識の時間の中で操られていることには気がつか
なかった。

 

現実の意識の中で、君は、自分の何をどう生きようとしているのだろうか。
『時間が無い』という君は、このままずっと、『時間が無い』と言い続け、気が
ついたときには、誰だかわからないような姿で皺が寄り、色褪せ、見る影もなく
なっているのだろうか。
今はもう、隙の無い時間しか持てない君のことを、心配することもなく、
『時間が無い』と言う君のことは、何も考えることもなくなった。

君の記憶が遠のき、意識の奥底にある末那識からは、影が消え去り、もう、今は
阿頼那識という深層の心も震えることもない。
そのまた奥底にある無垢識阿摩羅識には、何も残ってはいなかった。
 

 

   夢の徒然      「感情の風船」              

だんだん風船が膨らんでいく夢だった。
手にした風船が、だんだん膨らんでいくのは怖い。

障子の向こう側にぼんやりとしたシルエットが浮かんだ。
障子の影は、風船を口に付けたまま、息を吹き込んでいるように見えた。
風船を膨らませていると、だんだん大きくなってゆくにつれて、いつ風船が
破裂してしまうかわからない不安と恐怖が襲ってくる。
破裂の恐怖感から逃れるためには、風船から目を逸らし、両手で耳を塞いで
いればいい。それよりもその場を立ち去るか、風船にもうこれ以上息を吹き込ま
ないようにすればいいだけだけれど。

 

障子の影は、風船を口に付けたまま、息を吹き込みながら風船を訝しそうに
覗き込んでいる。何処まで息を吹き込んだらちょうどよいのかわからないのだろう。
肝心なことは、少しずつ吹き込む息を”コントロール”して、破裂の限界点を
慎重に探ればいいのにと思う。

障子の影は、シルエットなのに表情が見える。笑いながら、怒りながら、
悲しそうに涙を流し息を吹き込んでいるではないか。
感情の浮き沈みは誰にでもあることだ。
感情のコントロールもこんなふうに吹き込む息を注意深く調整して、感情が
破裂しないようにすればいいのだ。
それはそうだろうけれど、この制御が上手にできないと手に負えなくなって、
悪い結末しか考えられなくなるものだ。
 
障子の影は、息を吹き込むことをやめなかった。
でも風船は破裂しない。

 

イメージ 1 [膨らんでゆく風船]

 

 

たぶん、私は、膨らんでゆく風船を見ただけで、適当なところで息を吹き込む
ことをやめてしまったのだろう。
風船が破裂してしまう悲観的結末を思い込んで、まだ見てもいない自分自身の
姿を想像していた。
未来を想像してみることは、他の動物にはできないこと。
人間だけにあるものだろう。
未来を想像することなど何の意味もありはしない。
どうでもよいではないか。動物のように。
障子の影は、こちらを振り向いた。

 

『人は、どんな世界でも想像することができます。想像する未来の世界が悲観的
結末では、やはり悲しいものです。』
『ただ、今の今を何も想像することなく、動物のように生きていけばいいのかも
しれません。』

 

障子の影は、私が言い放った言葉をそのまま言っていた。
障子の影は、”怖れ”という名の黒いベールに包まれ、闇の中でそれを靡かせていた。
私自身の姿は、いつの間にか障子の影から靡いてきた黒いベールにすっぽりと
包まれ隠されていた。
いつか誰かを見た時のように、使い慣れた習慣のように、障子の影の黒いベール
の中で自身の姿を想像してみた。きっと、いつかの誰かも、すぐ目の前の視界の
中にいる僕の本当の気持ちには気づけなかっただろう、そう思った。
恐らくは、可笑しくもなく、楽しくもない、相変わらず今までとなんらかわり
映えのしない一日を手に入れ、慎ましく生きていくのだろう。

 

風船の中には、様々に彩られた喜怒哀楽の感情の息が吹き込まれていた。
風船の中が明るくなり、様々な色の息が混じりあい舞い踊っていた。
思いがけず投げかけられた気持ちよい言葉も、細切れになってしまった楽しい
ひと時も、風船の中で、赤になり青になり、様々な色に染めながら変化して
舞っていた。

風船の中が様々な色の息で混じり合い、どんなに素敵に舞い踊っていたとしても、
それは、束の間の出来事として感情の調整弁を閉じてしまった。
『風船の中に吹き込んで封じ込めることにしたのですね。』
『どんなに心地よくても、これ以上膨らんだ風船に余計な感情を吹き込んでしまう
ことが怖くなってしまったのでしょう。』 障子の影は、そう囁いた。

 

突然、大きな音がして風船が破裂した。
膨らみかけた風船に針を刺して割ってしまったのだ。
赤や青の様々な色に変化した色紙が飛び散り、キラキラと空中に舞った。
黒い空間の中に手が見えた。その手につまんだ鋭く尖った針の先が見えた。
私はその手を知っていた。
 
風船を早めに割ってしまうことの方を選んでしまったのも、お互いの関係が
重く感じられてきて、自らが傷つかないうちに、身を守る防御反応としての
感情の準備だったのかとさえ思えた。自身に迫ってくるであろう危険を予感
してそれを回避し、自らを牢獄に閉じ込めてしまうことの方を選んでしまう。
それは、生物の反応としてはまったく正しく、あなたとしての為す術は、
それしかないのだから当然のことかもしれません。

 

どうやら、君は、感情の坩堝の中で、自らを雁字搦めにしておくことで身を
守る術を身につけてしまったようだ。アルマジロの鎧兜のような硬い甲羅で
身を守りながら、ハリネズミのように尖った針を出し、敵に出会ったら丸まって
身を守るということですか。
そうして、君は、まだ見てもいない、どんな悲観的なわが身の姿を想像しま
したか。
そんな姿を見て、僕は、いったいどんなふうに君と関わったらよいのでしょう。
かける言葉も、とるべき仕草も思いつきません。

 

感情のグラデーションが散り散りに散らばった後、下町の懐かしい風景が映った。
駄菓子屋の前で子供が風船を膨らませている光景だった。
なかなか膨らまない風船を引っ張ったり、よじったりして息を吹き込んでいた。
うまく膨らまない風船に業(ごう)を煮やしていた。いくら息を吹き込もうとしても、か細い息は、ゴムの脇から容易に漏れていたのだ。
風船の中には、溜息だけが詰まっていった。
過剰な要求や期待を膨らますことは、それが容易に裏切られるばかりか、かえって
落胆の原因を作り出してしまう。
何を考えているかわからないような相手を、思うように動かすことなど思っては
いけない。

期待で人は動かない。
冷静に一歩身を引き、臨機応変、自らを信じて進むべき道を辿ることだ。
それでも、手にした風船が、だんだん膨らんでいく期待と怖れが同居していた。
吹き込んだ空気が漏れないように風船の口をつまんで、それ以上息を吹き込む
のをやめた。
夕闇がせまり、やがて下町の懐かしい風景は、風船の中に萎んでいった。

 

僕には、風船に吹き込む息を少しずつ”コントロール”する技量も、感情の調整弁も
ないけれど、その結末も考えずに、ただただ、風船に息を吹き込み続け、結局、
風船が破裂する音に驚いて右往左往するのだと思います。
僕は、もう元の気持ちには戻れそうにもありません。
そのような意味では、私に対する君の感情の制御は、妙に的確に作用していて、
少しもアンコントロールの状態ではなかったね。

それから、いくら息を吹き込んでみても、風船は、膨らんでいくことはなかった。
僕は、もうこれ以上、息を吹き込まないように、風船を持っていた手を離した。
風船は、高く舞い上がり、瞬く間に抜けるようなまっ青な空に吸い込まれていった。

 

   山屋の初夢                       2010.1.6 

     

初夢をみた。
明け方近くだった。

夢に出てきたのは、山の中の林道のような道だった。そこを歩いていた。
何処へ行こうとしていたのだろうか。道は、緩い上り坂になって続いていた。
今も、夢の中の其処が何処だかわからない。
誰かの後を、付かず離れず、間隔を空けるようにして付いて歩いて来たのかもしれない。
途中で、何やらただならぬ気配を感じて立ち止まった。それは、その道の脇にあった
大きな木製の観音開きの扉だった。しばらく何もせずに、その前に佇んでいた。
観音開きに開いた扉は、しっかり閉じられていないためか、風の通り具合によって、音もなく
開いたり閉まったりして揺れ動いていた。

扉の前に立ち止まっていても風を感じることはなかった。
辺りの空気の流れの具合でそうなっているのか、扉が開いたり閉まったりして揺れ動いている。
其処は、普通の家の造りではなかったようだった。山肌の崖をくり貫いてできた洞穴だった
のかもしれない。

イメージ 1 [不気味な扉だった]

金縛りにあったように、その場に立ち止まったまま、洞穴の中をじっと食い入るようにして
眺めていた。どこかに明かりがあるのかもしれない。不気味な洞穴の部屋の中は明るく暖色
系の色に照らし出されていた。
扉が開いたり閉まったりする瞬間にその隙間からは、洞穴の中の様子が窺える。
洞穴の中では、人の背丈ほどの大きな白いものが蠢(うごめ)き、何人かの人、それは人だった
のだろうか、けばけばしい白いものに群がって取り付いている様子だった。
声も音もすることはなく、噛り付いているのか、引き裂いているのか、なんとも異常な光景
であることだけは確かだった。

その場に立ち尽くしたまま、じっと洞穴の部屋の中の様子を見詰めていると、どうやら大きな
白い鳥のようなものが何羽も吊り下げられていて、何かがその白い羽をむしっているのだった。
白い羽がむしられた跡は、ブロイラーの肌がむき出しになって、ぶつぶつした毛穴が異様に
光っていた。
その光景を見詰めながら、何者かに今にもみつかってしまうかもしれない、と思いながらその
場で身震いしていた。

案の定、外の私の気配に気がついたのか、洞穴から何者かが、何人か何匹なのか出てきて私を
捉えた。それらがいったい何なのか、何の生物なのか、顔や姿さえはっきり覚えてもいない。
私は、無抵抗のまま、羽交い絞めにされて身動きもできず、「うぉぉっ」という獣の叫び声を
苦し紛れに発して唸っていた。
きっと、あの白い羽の死体のように吊り下げられて、皮をずたずたに剥がれてしまうのだろう
と思っていた。

それからどうなってしまったのか、わからないまま、正体不明の生物との映像は止まっていた
ように思う。
おかしな呻き声を出して足をじたばたさせていたので、目が醒めてしまい、その有様をどんなに
思い出してみようとしても、とうとうその夢の続きを見ることはできなかった。