अभ्यासवैराग्याभ्यां तन्निरोधः॥१२॥
abhyāsa-vairāgya-ābhyāṁ tan-nirodhaḥ ॥12॥
心の作用は、修習と離欲によって止滅される


修習:abhyasa  と 離欲:vairagya


ヨガプラクティスで言うならば
「ヨガの練習、頑張りますメラメラ」 =修習
でも
「頑張った結果は手放し、拘りません」 =離欲




2つのバランスはとても大切。
頑張りすぎ、やり過ぎでは身体を壊してしまいかねず
拘りすぎたら、心のバランスが崩れ、

一番わかりやすくいうと呼吸が大きく乱れます。
 

実際に、
無理していた自分の拘りを
手放すと呼吸がラクになりませんか?

修習と離欲のバランスに関しては、
日常生活の中でも、
当てはまっていることではないかと思います。


何事も動かなければ変化しないので頑張ります。
でも、その頑張りに見返りを求めず、

今の自分を見つめて手放し委ねること。




後のスートラに続きますが、

तत्र स्थितौ यत्नोऽभ्यासः॥१३॥
tatra sthitau yatno-‘bhyāsaḥ ॥13॥
絶え間ない努力をすることが「修習」である


よく「どのくらい続けたら効果がでますか?」と聞かれます。

その答えは・・・、自分自身にしか分からないのです。
毎日、三日に1回、週1回の練習をするという頻度、
または環境によっても効果が違うと思います。

自分の今いる場所を確認して
どれくらい進めばいいかに意識的になり、集中すること。

多くの場合、この集中は欲望と執着によって邪魔されます💦
それゆえの、離欲です。




स तु दीर्घकालनैरन्तर्यसत्कारासेवितो दृढभूमिः॥१४॥
sa tu dīrghakāla nairantarya satkāra-āsevito dr̥ḍhabhūmiḥ ॥14॥
修習は長い間、休まず、大いなる真剣を持って行わなければならない。

これが、堅固な基礎を持つものとなると続きます。


私自身、何度もスートラを見返し
新しい気付きを得るこの3つのスートラ。
しっかり心に留めておきたいと思います。

MICHIYO's YOGA



アビヤーサ(修習)とヴァイラーギャ(離欲)の関係は鳥の羽ばたきに例えられます。
鳥が空を羽ばたくときにはまず羽を羽ばたかせる努力が必要。目的とする高度までが上がるまでは鳥は羽を羽ばたかせ続けなければいけません。これがパタンジャリがヨーガスートラのサマディパダ第12節でまず最初にアビヤーサを記述している理由です。

ヨガの実践においても、まず精進すること、努力することが重要です。
特に学び始めの時期はいろいろな意味で努力が必要となることでしょう。これは鳥が地上から飛び立つときに必要不可欠な努力と一緒です。「ヨガは頑張らないでいい」という人もいるかもしれませんが、ヨガ以外のすべての学びを含めてこの世で「頑張らないでいい」ものは一つも存在しない。まず頑張らないと何も始まらない。飛び立てない。

そういう意味で、ある程度高度が上がって軌道に乗るまではアビヤーサがとても重要になります。

しかし、いつまでもまだ羽を羽ばたかせ続けていると、やがて筋は疲労して羽ばたき続けることが困難となるでしょう。どこかのタイミングで羽を休ませなければいけない。ある程度努力を続けて継続的にヨガの練習を続けていると、やがて肩の力を抜いてもうまい具合に練習が進んでいく時期がやってきます。この時初めてヴァイラーギャ、つまりただ目の前に差し出される“今”に身をゆだねる準備ができたといえるかもしれません。

身をゆだねているとやがて高度は下が始め、再び羽を羽ばたかせて高度を上げることが必要になるかもしれません。このように鳥の羽ばたきと同じようにヨガの実践もアビヤーサとヴァイラーギャのバランスの上に成り立っています。



インド古来の伝統では人生を大きく四つの時期に分けて考えます。
まず最初が学業に専念する学業期。
次に家族を持って子育てをする家住期、
三番目が子育てがひと段落したあと森で一人瞑想にふける林棲期。
最後が全ての財産と執着を捨て放浪生活をする遊行期。
このインドの伝統において最初の二つの時期は努力の時期、アビヤーサの時期といえます。人生の前半は努力してどんどん高度を上げていかなければいけない。
まず頑張りなさいと。そうしてはじめて後半戦に入ることができる。少しずつ努力を手放し、羽を広げたまま身をゆだねて高い視点から人生の機微を見守っていく土壌ができていくわけです。

重要なのは今の自分の高度をしっかりと把握しておくこと。
いま自分は人生のどの時期にいて、どのくらいの高さに来ているんだろうと常に意識すること。人生でぶちあたる壁というのは往々にして人生の高度を上げるために目の前に差し出される場合が多い。そのとき努力するともっと高く上がれる。でも考えなければいけないのはそこまで高度を上げることにどんな意味があるのかということです。