こんにちは。
むかしは音楽のジャンルにイージーリスニングというものがありましたが、
この頃は、あまり聞かないですね。
ヒーリングミュージックと呼ぶのでしょうか。
自分が中学や高校の頃はイージーリスニングの時代で、
商店街や喫茶店などのBGMになっていました。
もう、どこに行っても かかっていたような気がします。
その頃、もっとも人気があったのが
「ポールモーリアオーケストラ」だと思います。
ポールモーリアさんは、1925年3月4日のお生まれ。
今年が「生誕100周年」になるようです。
それを記念してCDが出るそうです。
『夢のラヴ・サウンズ』6/25発売
ポール・モーリア生誕100年の日本独自特別企画。
最新ベスト・アルバム。
ということで、
懐かしい曲を、ちょっと聴いてみたいと思います☆彡
≪メドレー≫
1曲ずつも良いですが、BGMとしてメドレーで聴いてみたいと思いました。
ポールモーリア 心に残る 名曲 ベスト 12選
(オリーブの首飾り~涙のトッカータ~恋は水色~など全12曲)
33分50秒
動画をお借りしました。
PAUL MAURIAT - LIVE IN JAPAN(1985)
1時間05分26秒
動画をお借りしました。
≪1曲ずつ≫
曲目
PAUL MAURIAT - LIVE - 1985 - LOVE IS BLUE(恋は水色)
PAUL MAURIAT - LIVE - 1985 - PRELUDE(渚のプレリュード)
PAUL MAURIAT - LIVE - 1985 - TOCCATA(涙のトッカータ)
El Bimbo - オリーブの首飾り
La Reine de Saba - シバの女王
Penelope - エーゲ海の真珠
恋は水色 - LIVE - LOVE IS BLUE
渚のプレリュード - LIVE - PRELUDE
涙のトッカータ - LIVE - 1985 - TOCCATA
オリーブの首飾り - El Bimbo
シバの女王 - La Reine de Saba
Penelope - エーゲ海の真珠
(写真は1968年)
【来歴】
6歳でアマチュア音楽家でもあった父親からピアノを習い、10歳でマルセイユ地方音楽院に入学。ソルフェージュとピアノをともに首席で修了して1941年に卒業した。
その後、1943年にマルセイユのダンスホール専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューし、翌年には同楽団の指揮者を兼任する。
1951年にパリ進出。フランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加する。1966年9月、オランピア劇場公演などで指揮し、フランシス・レイらとともに全米プロモーションツアーにも同行。
1965年、ポール・モーリア・グランド・オーケストラ (LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT) としてフィリップスと契約。1968年に「恋はみずいろ」がビルボード全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に世界的にヒット(約500万枚)。年間チャートでも3位にランクされた。RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞。イギリスでは12位、日本では18位まで上昇した。
「恋はみずいろ」以降も、フランス語圏や英語圏のヒット・ポップスや映画音楽を中心にレコーディングを続けるが、1970年代半ばから1980年代前半にかけてはブラジル音楽に傾倒。
1980年代半ばにはクラシック音楽を取り上げたアルバムを3年連続で制作。原題を『CLASSICS IN THE AIR』に統一したシリーズ作品として発表。日本でも『愛の夢/ポール・モーリア クラシックヒッツ』(1985年)、『G線上のアリア/ポール・モーリア・クラシック・ヒッツ』(1986年)、『プリマヴェーラの微笑〜ポール・モーリア クラシック アヴェニュー』(1987年)として発表されている。
日本においては、1969年に初来日して以来、870回の公演を開催。日本びいきとして知られ、1976年に国内11都市の印象を綴ったオリジナルアルバム『ポール・モーリア/ラブ・サウンズ・ジャーニー』を発表。
1979年にはFM情報誌の読者投票で選ばれたニューミュージック楽曲のカバー企画を、ジャケットデザインに森英恵を起用したアルバム『愛のメッセージ/ポール・モーリア』として制作。
2006年10月末、フランス南部ペルピニャンの別荘に滞在中、急性白血病であることが判明。同年11月3日午前1時、急性白血病による心不全のため逝去。81歳没。
ポールモーリアさんの音楽が
世代を超えて
受け継がれていきますように・・
さいごまで御覧いただき、ありがとうございます。









