(定年で引退される安田隆行師)

 

 

こんにちは。

きょうの愛知県は、くもり。いまにも雨が降りそうな曇。

 

 

 

先月、ことしの引退調教師が発表されました。

 

 

 

 

調教師の定年は70歳です。長い間、ほんとうにご苦労様でした。

「伯楽」は、速く走る馬を見抜く優れた目を持っており、相馬眼に優れて馬の育成に才能があるという意味だそうですが、まさにその言葉に相応しい方々ばかりだと思います。

 

安田隆行調教師管理 ロードカナロア

 

 

 

調教師(トレーナー)の仕事は幅広いと思います。

馬主さんから競走馬を預かり、調教及び飼養管理、厩舎経営、そして騎手育成。

 

馬券を買う側からしても、

調教や厩舎のコメント、騎手と調教師の組合せなどは大事な情報ですね。

 

 

 

 

引退セレモニー

 

正式な引退日は3月5日ですが、3月3日に安田隆行調教師の引退セレモニーが小倉競馬場でありました。

 

騎手時代には45週連続勝利を飾って「小倉の安田」と称されただけあって、調教師としての最後の臨場も小倉を選んだ。

 

ファンの前でのあいさつ冒頭では感極まり言葉に詰まった。「騎手時代、調教師時代とも小倉のファンの熱い声援をいただいて小倉へ来るのが楽しみでした」とつめかけた大勢のファンに感謝の気持ちを伝えた。

 

「思い出は数多くあるけど、小倉では今年1月の愛知杯を愛弟子の川田騎手と勝てたこと。欲を言えばきりがなくてクラシックを勝ちたかったけど、いい成績を残せて満足いく調教師人生でした。

 

競馬の神に呼ばれてきて素晴らしいホースマン人生を送らせてもらえました。

最高の競馬人生でした。この後も安田厩舎を応援してください」

 

 

 

次男の安田翔伍調教師らから花束を渡されて笑顔に

 

(写真はサンスポより)

 

 

 

 

 

各調教師の経歴・成績

 

 

飯田 雄三(いいだ ゆうぞう)

免許取得年2000年(栗東)

4817戦320勝

 

酪農学園大学で馬術部に所属し、馬と接していくうちに競馬の世界に興味を持つようになりアルバイトで道営競馬のゲートや写真判定の係を担当した。

 

 

1977年増本豊厩舎で調教助手を担当。

2000年にJRA調教師免許試験に合格し、2001年3月から厩舎開業。

2022年4月24日の福島7Rで勝利してJRA通算300勝を達成。

 

阪神10Rのテイエムランウェイ(8着)がラストレースでした。阪神で引退セレモニーが行われ、かつて厩舎に所属したテイエムサウスダンで根岸S、ビーアストニッシドでスプリングSを制した岩田康誠騎手らから花束を受け取った。

コメントは、『やり残したことはない』と言ったけど、改めてやり切ったという感じです。落ち着いたらまた競馬場に遊びに来たいですね」と柔和な表情で語った。

 

 

 

 

 

加用 正(かよう ただし)

1968年馬事公苑騎手課程に入所。2年次より京都競馬場の谷八郎の元で研修。

騎手試験には3度不合格となり、約6年間の下積みを続け瀬戸口勉厩舎で半年間の研修を積んだのち、1976年3月に瀬戸口厩舎よりデビューした。

 

騎手成績

 

調教師成績

調教師免許取得年1994年(栗東)

JRA通算成績 7548戦639勝

 

寡黙ながらも信念を貫いた。

加用調教師は、周りの人々に恵まれた55年間に感謝の思いを口にした。

「元気で引退できることが一番じゃないですか。僕は自己アピールが下手だったから。周りがうまくフォローしてくれたりしたからここまでこれたかなと」

 

 

 

 

 

 

小桧山 悟(こびやま さとる)

免許取得年1995年(美浦)

 

兵庫県出身。東京農工大学(同校の1年後輩に国枝栄が在籍していた)農学部蚕糸生物学科卒業後、競走馬育成施設に4年間勤める。1981年に美浦・畠山重則厩舎で調教助手となる。1995年に調教師免許を取得し、翌1996年3月に厩舎を開業。

 

JRA通算成績7330戦218勝

 

 

 

引退する小桧山悟調教師 「幸せ者でした」。

弟子たちへ 「面白かったありがとうって、

この社会に何か残してくれたら」とエールを送る。

 

 

 

 

高橋 裕(たかはし ゆたか)

免許取得年1991年(美浦)

1977年、美浦・八木沢勝美厩舎所属の調教助手となる。

1991年、2月に調教師免許を取得。12月に、管理馬のカネツサプライズが初出走(12着)、インターエリモが勝利し、3戦目で初勝利を挙げた。

 

JRA通算成績7067戦479勝

 

高橋裕調教師(70)は、

土曜中山1Rをペイシャニット(牝)で制した。好位から難なく抜け出し、2着に1馬身4分の1差をつけて快勝。師は「勝たないといけなかったので勝ってホッとした。ゲートもうまく出てあのくらいやれる馬。次の厩舎でも頑張ってくれるんじゃないかな。難しいところがある馬なのでうまくやってもらえれば」と同馬のさらなる飛躍を望んだ。

 

最後のレースとなった日曜12Rは2頭出しで、9着と15着。勝利はならなかったが、2日の中山1Rを制しており、最終週に有終の美を飾って33年間の調教師生活に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

中野 栄治(なかの えいじ)

免許取得年1995年(美浦)

 

騎手成績

1971年に東京・荒木静雄厩舎からデビューし、同期には南井克巳がいる。

代表馬は東京優駿と朝日杯3歳SのGIを2勝したアイネスフウジン。「年間勝利ゼロのダービージョッキー」としてテレビのドキュメントに取り上げられたこともあった。

 

調教師成績

 

 

【引退調教師2024】 中野 栄治調教師 インタビュー

 

 

 

 

 

 

松永 昌博(まつなが まさひろ)

免許取得年 2005年

 

騎手成績

騎手成績:5,845戦544勝

鹿児島県出身で中学校卒業後に阪神競馬場の曽場広作厩舎に入門、騎手候補生となった。騎手免許試験6度の不合格を経て、1977年に22歳で騎手免許を取得。曽場厩舎からデビューした。

 

1977年3月初騎乗。32勝を挙げて新人騎手の最多勝記録を更新。同年に曽場が病気で死去し、翌1978年より松永善晴厩舎に移籍する。1983年には松永の娘と結婚・婿養子となり松永昌博と改姓した(旧姓・舞原)。ナイスネイチャの主戦騎手。

 

調教師成績

 

栗東の松永昌博調教師(70)。騎手時代は“善戦マン”として人気だった個性派ナイスネイチャの主戦騎手として活躍。調教師としてはG1を勝利し、2人の弟子(森一馬騎手と小沢大仁騎手)も育て上げた。

 

 

体が小さかったので騎手になりました。それまで乗馬などの経験は全くありませんでした。右も左も分からないまま放り込まれた感じ。初勝利は小倉でした。うれしかったですね。GⅠは勝てませんでしたが、バンブーメモリー、トーヨーシアトルなどで、重賞はそこそこ勝たせてもらいました。

 

印象に残っているのはナイスネイチャですね。お母さんのウラカワミユキにも乗っていました。性格はおとなしい馬。追い切りでも乗りやすかったのですが、だんだん掛かるようになっていきましたね。一番思い出深いのは、高松宮杯を勝った時です。ずっと勝てませんでしたから。

 

やっぱり、この世界は勝つのが一番。勝ってなんぼです。ネイチャは去年、亡くなってしまいましたが、お墓参りには行きました。すごく長生きでしたし、引退馬協会の功労馬。ゆっくり休んでほしいです。

 

 

他にはウインバリアシオンが思い入れのある馬です。ダービー当日の朝に爪から血が出ていて、使うか悩みました。手当てをして大丈夫そうだったので、出走させて。雨が降って馬場が緩かったのもよかったのかな。一瞬勝つかと思ったけど、1頭、強い馬(オルフェーヴル)がいましたからね。

 

その後の神戸新聞杯、菊花賞も2着、2着と頑張ってくれました。それも勝てませんでしたが…。今は青森で種牡馬をやっているそうです。青森だと北海道と比べて厳しいところもあると思いますが、いい子を出してくれたらうれしいですね。

 

 

 

 

 

安田 隆行(やすだ たかゆき)

免許取得年 1994年

 

騎手成績

中学生のときに父と京都競馬場を訪れたことをきっかけに競馬にのめりこみ、騎手を志す。中学校卒業後、京都競馬場の梶与三男厩舎に騎手候補生として入門。

 

1972年に騎手デビュー、1980年代から小倉競馬場・中京競馬場といったローカル開催を得意とする騎手として知られた。1991年にトウカイテイオーとのコンビで皐月賞・東京優駿のクラシック二冠を制した。後年安田は「テイオーは僕の人生のすべて。表舞台に引き連れていってくれたから」と語っている。

【トウカイテイオー】

 

1994年、6度目の受験で調教師試験に合格し、騎手を引退した。

騎手成績 通算6401戦680勝。

 

調教師成績

 

 

 

高松宮記念優勝 ダノンスマッシュ

 

レッドルゼル(写真はフェブラリーS)

(イーストスタッド入り決定)

 

 

2012年香港スプリント優勝 ロードカナロア

 

2011年フェブラリーS優勝 トランセンド 

 

 

 

 

引退調教師の管理馬の転厩先

3月5日 JRAニュース

 

 

頭数

 

飯田雄三調教師のみ

 

 

 

(おしまい)

 

 

 

つぶらな瞳のカレンチャン☆彡

 

 

 

さいごまで御覧いただき、ありがとうございます。