2/28で引退する藤沢和雄調教師。

そして新たに競馬人生を歩む新人騎手9人

 

 

 

 

こんにちは☆彡

 

 

2月8日、今年度で引退する調教師の発表がありました。2017年に、オークス・ダービーをダブル制覇した、”名伯楽” 藤沢和雄調教師のお名前もありました。

 

調教師7名が引退

2月28日(月曜)をもって、7名の調教師が引退することとなりました。(定年:70歳)

 

 

 

 

きょうは藤沢和雄調教師の記事になります。

藤沢 和雄(フジサワ カズオ)調教師

生年月日 1951年9月22日   出身地 北海道  免許取得 1987年

 
初出走 1988年3月12日 2回東京5日 1R ケイアイパワー(3着)
 

(2001-2018は下に)

 

 

≪重賞勝利≫

 

(開業-1997)

 

     ※1988-1991 重賞勝利なし

 

 

(1998-2000)

 

 

 

2017.06.17 Number誌 (有料記事)

 

 

(2017.06.17 Number 冒頭部分)

 

オークス、ダービーをダブル制覇した藤沢和雄調教師(65)。無制限に近い形で馬房を管理することができた遠い時代に尾形藤吉調教師(1892-1981)が伝説に刻んだ1669勝、重賞189勝という数字には及ばないものの、通算1351勝、重賞101勝、うちGIレースを26勝(2017年6月4日現在)という輝かしい実績は現役の断然首位。無人の野を走る別格の存在だ。

 

そんなスゴい人でも、ダービーは今年のレイデオロが初勝利。

 

開業2年目の1989年にロンドンボーイを出走させて22着(24頭立て、10番人気)に敗退したあと、13年もの空白期間を置いたのがこの人らしいところで、

 

「誰もが勝ちたいレース。俺だって同じだけど、人間のエゴを優先させて馬に過度な負担をかけるべきじゃないと思う」と、我慢の理由を語っていたものだ。

 

13年ぶりに出走に踏み切った2002年のシンボリクリスエス、マチカネアカツキが2、3着。2003年のゼンノロブロイも2着。

 

「3歳春の時点で東京の芝2400mを走らせてもへこたれない馬」という藤沢師の厳しい眼鏡にかなった馬でも、栄光にはもう一歩のところで手が届かなかった。

 

(2012-2018)

 

2017日本ダービー レイデオロ

 

 

(2001-2004)

 

 

2003有馬記念 シンボリクリスエス

 

2002有馬記念 シンボリクリスエス

(2着はタップダンスシチー)

 

 

 

 

 

通算1,524 勝、うち重賞129勝、GI-35勝を誇る、まさに現役最強調教師の引退には多くの惜しむ声が集まっています。

JRAの調教師は定年制であり、満70歳の2月を迎えると自動的に引退となるのですが、藤沢師の近年の成績を見ると、衰えるどころかその技術にはますます磨きがかかっている印象があります。

 

 

多くの競馬ファンがその引退を惜しみ、時の流れの早さを感じているようです。

藤沢師は若くして頭角を現し、長きに渡ってトップに君臨したので余計に「もうそんなに時が経ったのか!」という声につながるのだと思います。

 

“日本競馬の常識”を変えた藤沢和雄調教師70歳が引退

私は『馬のお陰』という気持ちを忘れたくない

 

藤沢調教師は現在のJRAとなる日本中央競馬会に入る前に渡ったイギリスのニューマーケットで学んだ様々な調教法を日本に持ち込んだ。集団調教や馬なり調教などもそうだが、当時は奇異な目で見られたものの、現在では当たり前になっている事柄も数多いそうです。

 

 

 

 

藤沢の思い「人間なんて勝手なモノで…」

 

「人間なんて勝手なモノで、負けると馬のせいにするくせに勝てば自分の手柄にしたがる。私は常に『馬のお陰』という気持ちを忘れないようにするため、口取り写真には出しゃばらず、馬を中心に写してもらうようにしているだけです」

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました☆彡