こんばんは。
藤田菜七子騎手が今週、中山競馬場でレース復帰しました。
3日間騎乗して9鞍、3着が1回でした。
復帰週としては、まずまずの成績でしょう。
【コメント】
「違和感なく乗れたのは良かった。体力的にも気持ち的にもけがをする前と変わりなかったです」と約1カ月ぶりのレース騎乗に晴れやかな表情だった。
≪落馬事故から復帰した騎手たち≫
吉田豊騎手(44)
2017年12月9日の落馬事故で頸椎(けいつい)骨折の重傷
1年3カ月の長期休養
2019年3月2日 レース復帰
復帰後40戦目に491日ぶりの勝利
コメント「焦りはありませんでした。まずは体を(競馬に)慣らしてからなので、勝利はもう少し先になると思っていました。いい競馬ができましたね」
北村宏司騎手(40)
2019年3月2日の落馬事故で頭部外傷、右側頭骨陥没骨折など
5カ月休養後、8月4日にレース復帰
復帰初日に勝利
コメント「勝つっていいな、と思いましたね。ドクターやトレーナーのサポートがあり、乗せてくださったオーナーと調教師の応援があるからこそ。
正直、気持ち的に落ちていたときもあった。検査結果次第では騎手として戻れるか分からなかった。
そんな中でも妻は変わらず対応してくれたし、そのおかげで戻って来られた。
感謝しています」と、夫人の奈美さんら多くの関係者に感謝の気持ちを伝えた。
三浦皇成騎手(30)
【1回目】
2016年8月14日 肋骨9本および骨盤の骨折と肺・副腎も損傷するという重傷。折れた肋骨のうち3本が肺に突き刺さった。
その後、5回に及ぶ手術とリハビリで1年間の休養。
2017年8月12日復帰 初日に2勝を挙げる
「しっかりと下準備はしていたつもりでしたけど、実際に乗ってみたら何か
地に足がつかない感じでフワフワしていました」
次の日も最初のレースに勝利し、騎乗機会3連勝をマークした。
「良い馬を用意してくださった関係者の方と、実力のあった馬のお陰で、
感謝しかありませんでした」
同じ週にはいきなり重賞も。札幌・エルムSのドリームキラリで
果敢にハナを奪うと、ゴール直前につかまったものの、3着。
そんな1週目の競馬は気付いたら終わっていたと語る。そして、家族の元に戻った時に「諦めないで良かった」と感じたと言う。(奥様はほしのちあきさん)
「正直、苦しかった1年間を思い出し、胸が熱くなる思いがしました」
しかし、感慨にふけっている場合ではないとすぐに気付いた。
復帰した三浦に休んでいる時間はなかった。それでも、乗りたくても乗れなかった1年間を思い起こせば、幸せだった。
彼は努力を怠らない姿勢を貫いた。中途半端はしたくないと考え、毎日、毎週、
課題を持って競馬と向き合うようにした。
そんな彼の姿勢をみてくれている人もいた。
11月11日の武蔵野ステークス(GⅢ)ではインカンテーション陣営から突然の
騎乗依頼が舞い込み、その期待に応える騎乗で復帰後初となる重賞制覇。
その後も代打騎乗で、有馬記念ではブレスジャーニー、翌年の大阪杯(GⅠ)では
シュヴァルグラン。天皇賞(春)ではクリンチャーを好騎乗で3着とした。
スズカデヴィアスで新潟大賞典、翌年フロンテアクイーンで中山牝馬と重賞制覇。
三浦皇成騎手
【2回目】
2020年1月5日 左肩関節骨折、左橈骨(とうこつ)遠位端骨折
大塚海渡騎手の馬が最後の直線で斜行した際に、前方の馬と衝突し転倒。
その後方にいた鞍上三浦騎手のスズロザーナが巻き込まれ、同じく転倒
3月7日 2ヶ月ぶりにレース復帰
3つ目のレースで、ヴァンドゥメールに騎乗し勝利
翌日の報知杯弥生賞ディープインパクト記念(GⅡ)では、惜しくも5着
「いい緊張感もあり、戻ってきたな、と。こうして有力馬に乗せていただきありがたいですし、休んでいた間も頑張ったかいがありました。(無観客開催で)お客さんの前で勝つ姿を見せられなかったことは残念です」
浜中俊騎手(31)
2019年11月24日の京阪杯で落馬 左鎖骨骨折、胸椎骨折、両肩甲骨骨折、左右肋骨骨折、左手甲骨折で全治3、4カ月と診断された。
※騎乗していたファンタジスト号は予後不良
京王杯2才Sなど重賞2勝 ロードカナロア/ディープインパクトの良血馬だった
2020年2月29日からレースに復帰 阪神6R復帰後初勝利
翌日 阪急杯(GⅢ)にベストアクターで、復帰週重賞制覇の快挙。
「スタートが良く、理想的な位置を取ることができましたし、直線もうまく進路を見つけて馬群を割ってこれた」と会心の勝利に浜中の笑みがはじけた。
2020/03/01 第64回 阪急杯(GⅢ)【ベストアクター】
武豊騎手(51)
1987年3月のデビュー以来、骨折からの復帰は3度あるが、
いずれも2カ月以内に復帰していた。
2010年3月27日 阪神・毎日杯でザタイキ号が故障発症し転倒落馬して、
左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折などの重傷を負った。
本来、この落馬事故は数ヵ月で治療できるものではなく、数年かけてゆっくりと治療を行っていかなくてはならないレベルの怪我でした。
しかし、当時の武豊騎手の日本競馬への影響力は大きく、抱えている有力な馬が非常に多いという事情がありました。
関係各所やファンなどの迷惑を考慮して、武豊騎手は早期の復帰を目指し、
しかし、これが間違いでした。
早期に復帰した武豊騎手は、明らかに落馬事故の後遺症を引きずっていました。
それまでは華麗な騎乗で勝ち星を量産していたにも関わらず、落馬事故以前までの柔らかい騎乗ができなくなっていました。
これは、後年に武豊騎手本人が語っています。
「あの時はまだ左肩の状況が悪く、誤魔化しながら乗っていたところが あったかもしれません」
復帰後は思うように勝てない日々が続き、2010年は年間69勝。
2011年はデビュー以来最低の年間64勝。
2012年は前年をさらに下回り、年間56勝に終わった。
この時期の成績低迷について、
「年間200勝していたのが数年後に年間50勝になるのは正直きつかった。
『武豊』でも結果が出ないとこういう状況になる。シビアな世界だと思った」と
当時の苦しかった心境を回顧している。
しかし同時に、「『武豊』の真価が今 問われている」と自分を叱咤激励しながら
気持ちを奮い立たせていたという。
武豊騎手の逆襲はここから始まります。
怪我が完治した2012年の年末、1頭の馬に出会います。この馬との出会いによって、武豊騎手は再び騎手としての頂点に戻っていきます。
契機となったのは、落馬事故にあった毎日杯。
このレースにトラウマのあった武豊騎手は、馬の力を信じで騎乗をするという
かつての自分のスタイルを貫くことができない状況でした。
しかし2013年3月、キズナで毎日杯を勝利。この勝利により3年前の同レースで
落馬した時から抱いていた嫌なイメージを払拭。
5月26日の日本ダービーでは見事キズナをダービー馬に導き、頂点に立つ。
自身の持つ日本ダービー最多勝記録を「5」に更新した。
14万人近いファンの「ユタカコール」に包まれ、勝利騎手インタビューで
スタンド前に立った武に対し、多くのファンから「お帰り」の声がかけられた。
その声に「僕は帰ってきました!」と力強く応えた。この言葉は事前に用意して
いた言葉ではなく、ファンの声が胸に響いて自然と口をついて出た言葉だった。
武豊はこの日本ダービーについて、「騎手人生の中で大きなダービーだった」と語っている。
この年97勝を挙げ、低迷期を脱した。
2013 【キズナ】 日本ダービー
その後はキタサンブラックとのコンビでGⅠを6勝。2018年は、重賞8勝。
2019年にはフェブラリーSをインティで、菊花賞をワールドプレミアにて制覇。
2019年は年間111勝を挙げ、リーディング3位となり、完全復帰を証明した。









