今日は中央競馬(JRA)における女性騎手の誕生について。
JRAの騎手は殆どが、日本中央競馬会 競馬学校 騎手課程を卒業しています。
日本中央競馬会 競馬学校
千葉県白井市の千葉ニュータウン西白井地区にあります。
JRAに付属する教育訓練施設であり、学校教育法に規定される各種学校などではないため、競馬学校を卒業しても高卒にはなりません。国語や数学などの授業はありません。
今春は36期生がデビューします。過去の卒業生には3期生(昭和62年卒)武豊騎手、20期生(平成16年卒)川田将雅(かわだゆうが)騎手などがいます。
全寮制で、寮も敷地内にあるのである意味閉ざされた環境。1年生は3人部屋、
2年生以上に個室が与えられる。起床は5時40分(夏場は4時40分)。
退学者:騎手課程では体重管理や健康面に関する問題などから毎年の様に中途退学者が出る。負担重量という形で厳格な制限が存在する騎手という職業柄、体重管理には厳しい。在学中に想定以上に身長が伸び体重も増加し過重な減量を迫られ厳しい食事制限に耐えられない等の理由で退学に追い込まれた事例もある。
現在では、厩舎の多くが経済的に騎手候補生の育成を担う余力を失っているため競馬学校での育成カリキュラムが強化され、これについていけない生徒が退学するケースも発生している。
このような厳しい生活を3年間送る騎手課程に女子の入学試験合格者はいなかった。
しかし、男女平等の世の中になり、JRAとしても『スター騎手』が欲しいという思惑からか、第11期(1992年入学)に3人の女性騎手候補生が入学しました。
しかし、全員が自主退学する結果に終わりました。
≪1996年 JRA初の女性騎手が誕生≫
翌年の第12期(1993年入学)にも3人の女性騎手候補生が入学しました。
そして3人とも卒業。競馬界では有名な『競馬学校花の12期生』です。
同じくJRA所属騎手同士では初の双子の兄弟がいたりするなど話題が多く、
デビュー前から競馬マスコミによって大きく取り上げられた”
12期生・栗東の新人騎手
≪JRA史上初となった女性騎手≫
田村真来 - 実父は元騎手・元調教助手の田村正光
2001年8月31日、デビューから5年で騎手を引退(怪我のため)
通算成績は430戦9勝。
<騎乗機会にも恵まれなかった>
1996年/135 1997年/161 1998年/104 1999年/30 2000年/0
※今年の新人/斉藤新騎手の1年間の騎乗回数→572
細江純子(現在は競馬解説者)橋田厩舎の調教助手の児玉武大さんと結婚
高校卒業後にJRAの競馬学校騎手課程に入学。
日本の女性騎手として初めて海外競馬(シンガポール)で勝利
2001年年6月15日、デビューから5年で騎手を引退(怪我のため)
通算成績は493戦14勝
<細江純子騎手の現役時代の逸話>
ゲートの中では「この馬ではこうして、こう乗って、最後の直線はこの
タイミングで追い出して」とか、そんなことで頭がいっぱいでした。
あるとき、集中してゲートインすると突然、隣からニュッと手が伸びて
きてほっぺをつねられたんです。エッ!? 隣を見るとフランスの
オリビエ・ペリエ騎手が知らん顔をしている。
「やだっ、何この人!」とびっくりしました。でも、私があまりにも
緊張しているから、それをほぐそうとしてくれたんです。
「もっとリラックスが必要だよ」って。
牧原 由貴子 - 増沢末夫調教師の長男・増沢真樹調教助手と結婚
競馬学校卒業時にもっとも優秀な卒業生として表彰される「アイルランド大使
特別賞」を獲得するなど、将来を嘱望されて卒業。
デビュー1年目に9勝。
減量特典のある最初の3年は、騎乗依頼が146-177-144回あり、
しかし1998(3年目)の年末のレース中に落馬事故に巻き込まれたため、負傷。加療休養に入る。
2000年3月1日付で増沢厩舎所属からフリーとなった。その年から騎乗依頼は2桁に減り、最後の5年間は合計で31回しかなかった。
2013年9月30日付けで騎手を引退。引退後は菊沢隆徳厩舎の調教助手となる。
通算成績は、JRA891戦34勝
(JRA・地方通算勝利数は39勝)
地方招待レースでの活躍
2008年11月 レディースジョッキーズシリーズ2008 金沢ラウンド
第1戦の「加賀友禅賞」で約1年ぶりの勝利。
最終ラウンド荒尾競馬場の第6戦でも「オッズパーク賞」を勝利しました。73ポイント獲得したが、1ポイント差の2位でした(優勝は別府真衣騎手:高知)
結局3人とも騎乗機会も少なく、怪我をしたこともあり実力を発揮することなく引退に追い込まれたように思います。
その後も板倉真由子、押田純子、西原玲奈と3人の女性騎手がデビューしましたが、目立った成績を残すことができずに表舞台から姿を消していきました。
板倉 真由子
平成9年卒 13期生。1997年デビュー。2001年11月30日をもって
騎手を引退。通算成績は246戦1勝(うち障害5戦0勝)
押田純子
板倉真由子騎手と同じ13期生。1997-2000年まで騎乗し、
2000年2月29日付で引退。通算成績は158戦2勝。
調教助手だった清水久詞(のちに調教師となる)と結婚。
西原玲奈
平成12年卒 16期生。
しかし2002年障害戦に初挑戦したとき落馬して競走中止。右足脛骨骨折、腓骨骨折、腰椎圧迫骨折という重傷を負ってしまった。このときは引退も囁かれた。
翌年に復帰したが騎乗依頼は、2009年2回、2010年も3回しかなかった。その苦しさを「LJS(レディースジョッキーシリーズ)2009」インタビューで少し語っています。
LJS 2009 に向けて 西原玲奈騎手インタビュー
2010年2月末に引退。梅田厩舎の調教助手となって調教を担当。
2015年には桜花賞で、担当していたレッツゴードンキが優勝しました。
通算成績はJRA 590戦 17勝 地方65戦7 勝
2009レディースジョッキーズシリーズ
水沢ラウンド・第2戦勝利
≪JRAに挑戦した女性騎手は全員引退≫
2010年西原玲奈騎手引退
2013年増沢(牧原)由貴子騎手引退
これにより、一時は6人もいたJRA女性騎手は全員姿を消した。
もう一つは(1996=平成8年当時は)技術以上に、「女の力では馬は御せない」という古くからの考え方が競馬関係者や馬主などに根強くあったからではないでしょうか。
≪新たに挑戦する女性騎手≫
増沢由貴子騎手は2013年9月30日付けで騎手を引退しましたが、その半年前の
その中の一人が藤田菜七子騎手候補生でした。
そして苦難の末、2016年に藤田菜七子騎手はデビューしました。