宇江佐真理さん:著者プロフィール

 

1949-2015) 函館市生れ。函館大谷女子短期大学卒業。

 

1995年 『幻の声』でオール讀物新人賞受賞

2000年 『深川恋物語』で吉川英治文学新人賞

2001年 『余寒の雪』で中山義秀文学賞を受賞

 

 

宇江佐 真理(うえざ まり)さんは、1949年生まれ。函館市で主婦をしながら文学賞への応募を続け、小説家としてデビューをしました。

 

『髪結い伊三次捕物余話』第一巻に収録されている「幻の声」でオール讀物新人賞を受賞したのが1995年。受賞時は46歳でした。

 

宇江佐さんは、函館中部高校卒業後は函館大谷女子短大に進学し、卒業後は10年近いOL生活を経て、結婚し主婦となります。

 

旦那さんは大工さんだといいます(このことが後に小説世界の江戸庶民生活をいきいきと伝える元になっていると思います)。

 

男児二人に恵まれ、忙しい日々を送りますが、毎日すべての家事を終わらせたあとのわずかな時間を使って応募作品を書き続けたそうです。

 

1995年に受賞したあとも函館に暮らし、小説家として忙しい日々を送りながら、デビュー前と同じように家事もこなしていたそうです。

 

その後、67冊もの作品を世に出しました。

 

【作品一覧】 → http://www.rsl.waikei.jp/ueza02.html

 

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しかし、2013年に乳癌が見つかり、20141月 文庫版『心に吹く風』のあとがきで、

乳癌にかかり全身に転移していることを読者に告げた。

 

そして翌年1月、(乳癌治療は恐くない、早期発見が増えればとの想いから)

闘病記「私の乳癌リポート」を発表した。

(文春文庫エッセイ集『見上げた空の色』に収録)。

 

2015117日、乳癌のため函館市の病院で死去。66歳没

 

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宇江佐真理 《14》  「君を乗せる舟」 その2

 

宇江佐真理さん 「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ

第6巻  『君を乗せる舟』

 

 

 

短編 4. おんころころ・・・

 

伊三次の息子である伊与太は疱瘡(天然痘)にかかってしまった。

 

当時、疱瘡は「お役」と呼ばれて幼い子供達には免れることのできない病だった。

それをいかに軽く済ませるかが、子供を持つ親達にとっては大きな問題だった。

 

伊三次もついていたかったが、事件が起きて出かけなければいけなくなった・・・・

 

 

深川の町並みに薄紅色の桜の樹がいくつも目についた。江戸は花見の時季を迎えていた。

 

最近、深川の冬木町の仕舞屋で、紫色の小袖を着る娘があらわれるという。

「いまどきの娘は紫の着物なんか着ねえですよ。振袖火事じゃあるまいし」

近所では幽霊屋敷と噂されているが、そこに入居したいという侍がいるらしい。

 

不破からは、その侍の素性を探れといわれた。今は本郷に住んでいるという。

 

 

佐内町に帰ってくると、いつもならお座敷にでかけているお文が家にいた。

茶の間に入って行くと、伊与太が赤い顔をして寝ていた。

 

「どうした」

「疱瘡だって」

「ええっ?」

 

伊与太は去年生まれたばかりだ。そんな小さい内から疱瘡にかかるとは思いも寄らなかった。

 

「最初は風邪だと思っていたんだよ。念のため松浦桂庵先生に診てもらったら疱瘡だって」

 

伊与太はとろりとした眼をしてお文と伊三次の顔を見ている。熱のせいで頬がほんのり

赤らんでいる。だが、まだそれほど苦しそうではなかった。

 

「松浦先生は薬を用意してくれたんだろうな」そう訊くと、お文は力なく首を振った。

「伊与太はまだ赤ん坊だから、薬はなるべく使わない方がいいとおっしゃったよ。

いよいよ危なくなったら、その時に手立てを考えるそうだ」

 

「何の病にも初中終があって、その時が過ぎなけりゃ治らないそうだ。特に疱瘡は、ほとぼり(発熱)があって、ほみせ(発疹)が出て、膿がきて、瘡蓋ができ、それが剥がれて、ようやく治るそうだ。あせったところでどうしようもないとさ」

 

伊与太は泣きべそをかいて、お文に手を伸ばして助けを求める。お文は伊与太の手を握って揺すった。

 

「お前さん、明日、絵草紙屋に行って、赤絵本を買ってきておくれ」

「絵本なんざ、役に立つか!」

 

「気休めでも、何かしないと落ち着かないよ。わっち等は伊与太の親だろうが」

そう言われると返す言葉もなかった。

 

 

子供が疱瘡にかかると身の周りの物を赤づくしにする習慣が江戸にはある。

 

寝具も、衣服も、おもちゃも、すべて赤にする。その中に赤絵本と呼ばれるものもあった。

表紙も赤、中身の絵や文字も赤、綴り糸も赤である。

 

そこには疱瘡が軽く済む養生方法や、呪ない、流行り唄などが書かれていた。

 

「買ってくるよ」

「よかったねえ、伊与太。ちゃんが赤絵本を買ってくれるんだって。きっとこれで軽く済むよ。安心おし」お文は伊与太に微笑みながら言った。

 

 

翌日から、お文は伊与太の周りを赤で固めた。

赤い木綿で着物や頭巾をこしらえて、弟子の九兵衛には疱瘡の守り札を貰いに行かせた。

 

そればかりではなく、枕許には疱瘡棚を設え、赤絵を貼り、赤餅、赤団子、赤小豆飯、赤鯛を供えた。

 

見舞いに訪れる近所の者も赤い菓子やら、赤い玩具などを持って来た。

 

 

にも拘わらず、伊与太の症状は日に日に重くなっていった。高熱が続き伊与太はぐずる。

 

伊三次はお文と代わる代わる抱いてあやした。

だが、次第に泣き声が弱くなり、意識が朦朧としてきた。

 

お文は帯も解かず、伊与太の看病にかかり切りだった。お文の顔にも憔悴の色が濃かった。

 

 

そんな時、不破友之進から本郷に行けといわれた。伊三次はよほど断ろうかと思った。

伊与太のそばを離れたくなかった。

 

だが、お文は、「行っといで。ここでわっちとお前さんが息を詰めていたって始まらないよ」と、言った。

 

「おめえは心細いだろう」

「平気だ」 お文は豪気に応える。

 

「これで伊与太の命がはかなくなっても、わっちは寿命だと諦めるよ」

 

「まだ、そこまで考えるのは早い」

「いいや。弱い子を産んじまった。お前さん、勘弁しておくれ」

 

お文はそう言って鼻を啜った。すっかり覚悟を決めたようだ。

 

 

 

疱瘡で亡くなる子は多い。伊三次は今まで、それを他人事のように考えていた。

だが、わが身に降りかかると身の置き所もないほど、うろたえていた。

 

伊与太が死ぬ?あどけない笑顔が消える?

そんな馬鹿な。そんなことがあるわけがない。

 

伊三次は必死で恐ろしい想像を頭から振り払いながら、侍が住んでいる本郷の

団子坂に向かった。

 

団子坂で近所の酒屋に聞き込みすると、その侍が住むようになってから行方知れずの

娘が何人もいた。かどわかしだという。

 

しかし、その侍はさる藩と強い関係があると吹聴し、取り調べに遠慮があるという。

 

問題の男の家を見張っていると、例の侍が大八車を引いて来た。引っ越しか。

張り込みを強化しなければ、と思った。

 

 

その時、不意に伊三次は伊与太の泣き声を聞いた気がした。

まさか、伊与太に何かあったのではあるまいか。胸騒ぎがする。

 

思わずその場にしゃがみ込んで両手で顔を覆った。

おれはこんな所で何をしているのだろうと思った。

 

伊与太にもしものことがあったら明日からどうして生きていくのか、いや伊与太一人で

逝かせるのは可哀想だ。自分もついて行ってやろう。そうだ、それしかない。

だっておれは伊与太の父親だから。

 

シャン。

 

その時、伊三次の耳許で鈴の音が聞こえた。

 

ゆっくりと顔を上げると駒下駄を履いた若い娘が心配そうな顔で伊三次を見下ろしている。

 

伊三次の肌が粟立った。娘の着物が鮮やかな紫色だったからだ。

 

そして、娘はまるで伊三次を案内するかのように前を歩いていく。

 

やがて、娘は一つの寺の中に入って行った。

 

広い境内に入ると、娘の姿は消えていた。しかし、目の前の本堂の扉は開け放たれていた。伊三次は何かに吸い寄せられるように、本堂へ進んだ。

 

錫杖を手にした地蔵が目についた。その前には地蔵の謂われが書かれてあった。

 

病を得た子供の回復を願うならば、

おんころころ、せんだり、まとうぎそわか、

と三回唱えろ。と、経の文句も添えられていた。

 

伊三次は、波銭を賽銭箱に入れ、手を合わせた。「おんころころ、せんだり、まとうぎそわか。おんころころ、せんだり、まとうぎそわか。おんころころ、せんだり、まとうぎそわか」と唱え、必死に祈った。

 

それから伊三次は深川に向かった。

 

奉行所の与力が伴の者を連れ捕物装束で集まっていた。

侍が吹聴していた藩に問い合わせた所、無関係だということで浪人扱いできる。

 

さらに、かどわかされた娘の一人が見つかり、その侍の仕業が割れた。

あとは捕縛するだけだった。

 

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事件が解決して、伊三次は佐内町へと足を向けた。

 

伊与太はどうしただろう。お文はさぞかし心細い思いをしていることだろう。

 

家は通用口だけが半開きになっていた。

 

「お前さん!」 お文は泣き笑いの顔を伊三次に向けた。

「熱は下がったのか?」

 

「一時は本当に駄目かと思ったんだよ。だって伊与太、白目を剝いたんだもの。必死で頭を冷やしたんだよ。そうしたら八つ(午後二時)頃から、すうっと熱がひいたんだよ。それからわっちの乳を吸って重湯も飲んだのさ」

 

 

八つといえば、伊三次が寺でおんころころと祈っていた時分である。

ご利益があったのだろうか。

 

伊与太が回復すると、お文は伊与太が使った赤い物を焼いて供養した。

守り札を受けた神社にもお礼に訪れた。

 

瘡蓋が剥がれると、伊与太の額と右の頬に薄いあばたが残った。

お文はそれを見て、悔しがった。

 

だが、あばたぐらい何んだと伊三次は思う。

生きて目の前で伊与太が笑ってくれるだけで十分だと伊三次は思うのだった・・・・