今年のスプリンターズSも無事に終わりましたが、ふと昔のレースを思い出しました。

 

1996年、スプリンターズステークス。

「もしも」が禁句とされる勝負の世界で、

それでも「もしも」の誘惑に駆られる瞬間がある。

フラワーパークとエイシンワシントンが激闘を演じたレースです。

 

 「その馬の鼻があと1センチ高かったら」

2013年、JRAスプリンターズステークスCM

 

(THE LEGEND 2013年 JRA-CM スプリンターズS)

 

フラワーパーク

3歳秋の遅いデビュー。初勝利からわずか半年で高松宮記念(当時の名称は 高松宮杯 )に勝ち、G1ウイナーの仲間入りを果たした。好位から抜け出すタイプ。

その年の春は11敗。しかし前哨戦のCBC賞ではエイシンワシントンの軽快な逃げの前に敗れ2着。

 

エイシンワシントン

実力が十分あるにも関わらず、2度骨折を経験し、それでもその度に立ち直ってきた強い馬。

この馬の魅力は何と言っても圧倒的なスピード。そのスタートが凄くて、いつもゲートを出た時点で2馬身くらい離しているという、まさにロケットスタートを決めていました。

 

【レース】

レースではいつものようにエイシンワシントンが軽快に逃げ、マークする形でフラワーパークが2番手を追走しそのまま直線へ。

直線は完全に2頭のマッチレースになり、ワシントンにフラワーパークが並んだところがちょうどゴール板でした。

 

写真判定でも判然とせず、長時間の協議の末、僅か1cmの差(公式発表ではハナ差)でフラワーパークの勝利が決定しました。エイシンワシントンは無念の2着となってしまいました。

 

これがその時の「ハナ差写真判定」の画像です。ほとんど同着といっていいくらい。

【手前がフラワーパーク】

 


このレースで悲しかったのは3コーナーで競走中止となってしまったニホンピロスタディ。逃げ馬ですが短距離では圧倒的に強く、順調だったらどんな成績を残していたのか見てみたかったです。

 

フラワーパークとニホンピロスタディの父はニホンピロウイナーという種牡馬で、現役時代2616勝。

マイルCS 2勝、安田記念などJRA重賞を10勝するなどマイル(1600m)以下の短距離競走では非常な強さを誇った。他にもヤマニンゼファーなど優れた短距離馬を数多く輩出しました。

エイシンワシントンの父はオジジアン(Ogygian)といい、逃げても差しても勝てるという自在性がある競走馬だったといいます。通算107勝・G1競走3勝の好成績で引退。

北海道浦河町のイーストスタッドで供用されていた時期もありましたが、22歳の時に米功労馬保護団体オールドフレンズによってアメリカへと買い戻され (その価格は150万円といわれます) 、ケンタッキー州で余生を送り、‘1532歳で亡くなりました。

 

【その後】

エイシンワシントンは、現役を続行しましたが調教中に故障。結局、スプリンターズSがラストランになってしまいました。セントウルステークス(GIII)CBC(GII)の重賞2勝。

その後、オジジアンの後継種牡馬として期待されレックススタッドにて供用されました。2009年の種付けを最後に種牡馬を引退し、日本の代表的な養老牧場の一つ、鹿児島県のホーストラストにて功労馬として第三の馬生を送りましたが、2014年に 23歳で 亡くなりました。

 

フラワーパークは翌年も現役を続行するも、前年の勢いは失われ、引退。白老町の白老ファームで繁殖生活に入り9頭の産駒の母親となりました。そのうちの1頭、ヴァンセンヌ(父ディープインパクト)は2015年の東京新聞杯(GIII)の勝ち馬です。

2013年、キンシャサノキセキとの間に牝馬を出産したのを最後に21歳で繁殖生活を引退。同年9月、離乳と同時に平取町のスガタ牧場へ移動し、余生を過ごしています。

ヴァンセンヌは種牡馬となり産駒は今年からデビューを迎えています。その中でイロゴトシ(母父クロフネ、母はイロジカケ)は既に2勝をあげ、今週10/5() のサウジアラビアRC(GⅢ)に出走予定です。

 

1996/12/15  スプリンターズGⅠ

 

 

 

エイシンワシントン

 

 

フラワーパーク