ムタフカズ
観る度に新しい発見があって
おもしろいルンルン
3回目の鑑賞&ヴィンスシールもget!
来週はウィリーのシール貰いに行かなくちゃ爆笑

3回目にして
ようやく細かい部分を観れるようになって、
いろいろ考えたことがある。
自分なりに受け止めた「ムタフカズ」を
書き留めておきたい。


「ムタフカズ」は、
アンジェリーノが
納得した自分になって、
自分らしく生きる ことをテーマに描かれた作品だ。
リノは、悪事を企む怪物(マチョス)にはならず、人間として生きるんだ!
と強い意思で選ぶ。

マチョスは地球征服を企む宇宙人で、
人間の負のエネルギーに呼応して
その勢力を拡大していた。
人間に化けて経済や政治の主要ポストに就いたり、寒さを無くすために地球温暖化を謀ったり。
この地球上で起きる悪事は、
宇宙人の仕業のように描かれていたけど。
でも。。。
雪が降り積もる中でも、
マチョスが寒さに倒れても、
街のギャング達の銃撃戦は
終わらなかった。
殴りあって 血を流し
撃って 撃たれて
殺しあって 死んでいく。
これは、宇宙人侵略のせいなんかじゃない。
人間が、人間を殺しているのだから。

アンジェリーノが自分らしく生きると
選んだ「人間」も、
必ずしも全員が正しい訳じゃない。


マチョスの中にも、
リノパパのように優しくてあたたかくて、
愛する心を持つ"個"があるように。
人間の中にも、
リノママのように愛する人を守る強さを持つ"個"もあれば、
マカベのように支配欲に囚われた"個"や
クロコのように戦争に快感を見出だす"個"もある。
「無名の功労者」となる博士もいる一方で、
その他多数の博士は、
憐れにも脱出を諦めていた。
閉鎖された現状に対して、
苦痛を感じながらも抗わず、
その身を委ねることは、
人間の心理としてはよくあること。
でも、逃げる機会をひたすらに待って、
たった一度のチャンスに飛び込んで
がむしゃらに足掻く姿も、
また人間らしい。

悪夢のような出来事が去った後でも、
街からギャングは消えないし、
DMCは変わらない。
人間の中にも、
いろいろな"個"がある。
結局、自分が何者かなんてものは、
マチョスか人間かというようなカテゴリーで分けられるようなものじゃないんだ。
生まれた種族で、"個"は決まらない。
自分の成り立ちが何であれ、
自分は何者でもない。
逆に言えば、
自分の成り立ちが何であろうとも、
何者にでもなれるんだろう。

リノが言う「納得できる自分」って、
難しいかもしれないけど、
でも、
「納得できる自分になる」のも、
「その自分を認めて納得する」のも、
全部、自分。


自分を認めるって、
自分自身のことだけじゃなくて、
他人を知らないとできない。
「他と違う自己」を認識するところから始まるから。

人種、国籍、宗教、信条、障害、容姿、性別、年齢、出身地、家柄、性的指向、価値観…
それら全てが、
どのカテゴリーに属そうとも。
たったひとつ、
「自分」というマイノリティを持って。

自分は自分でしかない。
自分を、選んで、生きる。
アンジェリーノの物語。

願わくば 私も
自分を、選んで、生きていきたい。