マイペースで歩こう☆ -6ページ目

マイペースで歩こう☆

ノスケから⇒全ての発達障害児とその家族へ。
『チャンスは常に目の前にある。自主性を持つことが一番大切。自分らしく在りつづけることです( ̄∀ ̄*)』



我が家のノスケは、6歳で発達障害と診断されました。当時の診断名は、アスペルガー症候群、自閉症、ADHD等…。今で言うところの自閉症スペクトラム、とやらでしょうか。14歳まで障害児支援センターのフォローを受けて、現在は30歳になりました。


注意⭐︎⭐︎⭐︎
成長の経緯や、受験とか就職とかは、備忘録のこのブログに残したので。興味あるかたはどーぞ^_^




最初に〝転職〟の言葉を口にしたのは、慕っていた先輩が退職する頃だったでしょうか。

社会人になって、指導担当になってくれた頼れる先輩。ノスケが入社して1、2年ほど過ぎた頃に、転職してゆきました。


ボクも転職したいなぁ( ̄∇ ̄)


そう言ったのは、置いていかれた寂しさだったのでしょう。
ノスケに伝えました。

先輩は、努力して、その努力を認められて、新しい会社に行ったのだ。辞めたいから転職するのではなく、自分のキャリアを認められてから転職しなさい。



3年が過ぎて、一緒に入社した仲間も転職していきました。

そして、5年が過ぎて。とうとう一番仲の良かった仲間が。
気づけば、ノスケにも後輩が出来ていました。




その頃から、ノスケは国内のあちこちに出かけて行くようになりました。
一足先に転職していった仲間や、先輩。話しをたくさん聞いて、たくさん調べて。

そうして、行動に移した今年。


今よりも、もっと上に。

もっとたくさん知りたい。

かつて、ノスケが採用してもらえなかった巨大企業たち。やりたかった仕事を選んで、自分を選んでもらうために。



みっく:だけどおまえ、面接恐怖症じゃなかったっけ?



ノスケ:ん…得意では無いのだけれども。でも、がんばるよ( ̄∇ ̄)




今の会社は、ノスケにはとても良い環境でした。
障害の部分を攻撃されることは無く。
研究するのが仕事なノスケ、ノルマに追われることもなく。
たくさんの同期の仲間たちと一緒に、ノスケのペースでコツコツと。のびのびと働くことが出来ていましたから。

ありがたい会社に入れてもらったものだ。
ずっとここで働くのも良いことだよ。


そう伝えてきました。




ノスケも、会社が大好きでした。
もちろん仕事もね。大切に、頑張っていましたよ。


だけど、自分には、他にもたくさんやりたいことがあるから。



人生は一度きりだから。
僕は色々なことがやりたい。
今、転職はするけれど、また何年かしたら、違うことに挑戦しにいくかも知れない。
でも、やりたいんだ。



うん、わかったよ、ノスケ。
自分が思う通りに。
おまえが望む道を、自由に。



とんでもないワガママな動機ですが(笑)
ノスケが転職活動を始めたのは、これが正真正銘の。
彼のマジメな気持ちだったのです。




ところで…。
↓①にも②にも、ちょっと意味のわからない写真が貼ってありますが。

ノスケは写真が趣味でして。
日常の中で、自分が面白いと感じるものに出会うとシャッターを切ります。


①は、わが家のネコのひなたぼっこ。ニュッと出た足が楽しかったそうです。

②は、港でカモメのようにくつろぐハト。
→ノスケは単にハトが大好きです(笑)


そして…。

③『ひとつぶのエサに有り着こうと、互いを押しのけながらゴールを目指すウミガメ』

なのだそうです…。







我が家のノスケは、6歳で発達障害と診断されました。当時の診断名は、アスペルガー症候群、自閉症、ADHD等…。今で言うところの自閉症スペクトラム、とやらでしょうか。14歳まで障害児支援センターのフォローを受けて、現在は30歳になりました。


注意⭐︎⭐︎⭐︎
成長の経緯や、受験とか就職とかは、備忘録のこのブログに残したので。興味あるかたはどーぞ^_^






ノスケが、一般企業に就職をすると宣言した時。

私は猛反対しました。


だって、結果見えてるじゃない。



緊張すると言葉が出ないノスケ。

目を白黒させて、激しいチックが出るノスケ。

やっと話し始めても、ひどいどもりで。慣れた人や家族でないと聞き取れないほどの早口で。



彼は。親として贔屓目に見ても、かなりの確率で〝障害〟を認識されるタイプの人なのです。




案の定、就職活動はかなり難航しました。

ノスケは◯帝大のひとつと呼ばれる大学の院生で。成績も、同じ大学の仲間たちからも一目置かれる人。当然、どんな会社の一次審査は落ちることはありませんでした。



やはり問題は、面接でした。

ノスケの話し方などを見て、露骨にそれを指摘してきた企業もありますし。
→社名書いてやりたいですねぇ(笑)あ、でもそんな企業だから、有数企業であっても失敗と失態ばっかりなんですねぇ(笑)ふん、潰れてしまうが良い。


さすがに、帰宅後に涙を流していました。悔しい、と言って。実際に、かなり人間性を抉り取るような対応をされました。うーん、訴えてやりたかったくらいです。



でもね、ノスケ。おまえが挑戦しようとしている一般社会というのは、そういう場所なんだ。障害を許容してくれる人、場所は、ほぼ存在しないと思え。

そして、この先はもっともっとノスケに辛い現実が待ってる。真っ直ぐに正直に生きて来たノスケ。でも、真面目さや努力だけが正義ではない。


結局。ノスケの友人たちが次々と有名企業に内定を決める中、ノスケはなかなか内定はもらえなくて。
私は何度も何度も説得を試みました。


大学の教授も、色々な道を示してくれました。
在学中から、先生のお手伝いで講師もどきをしたり。学会に同行したり。海外の学会にも。教授はノスケの生きる道を、たくさん。彼に選択肢をくれていたのだと思います。



それでもノスケは就職すると言う。



僕は、世間知らずな研究者はイヤだ。
ちゃんと世界を知り、視野の広い人間になりたい。

勉強は、どこでも出来るから大丈夫なんだ。


そう言って。



結局ノスケが就職したのは、研究室にスカウトの来た企業で。
それでも、私たちが驚くほど大きな(笑)有名な企業でしたよ。

部署移動や上司の更迭(びっくり)、社会人として本当に様々な経験を重ねてきた7年でした。








我が家のノスケは、6歳で発達障害と診断されました。当時の診断名は、アスペルガー症候群、自閉症、ADHD等…。今で言うところの自閉症スペクトラム、とやらでしょうか。14歳まで障害児支援センターのフォローを受けて、現在は30歳になりました。


注意⭐︎⭐︎⭐︎
成長の経緯や、受験とか就職とかは、備忘録のこのブログに残したので。興味あるかたはどーぞ^_^



山あり谷ありなノスケの子育て(と言うより、成長フォローですな)は、彼の大学受験の合格の時点で終わりました。明確にノスケ本人から言われまして。


僕は、自分で自分の人生を歩かなくてはいけない。だからこの先は全てを自分で判断してやっていく。母にはわからないことや困ったときに聞くから、そのたびに教えてくれる?( ̄∇ ̄)


とまぁ、こんな風に一言の宣言と了承で完了したのですが。
有言実行なノスケは、大学の入学手続きから全てを一人で行いました。あ、カネは払わされましたけどね(笑)



これ、書いたんだけど、確認してくれますか?


ここに書いてあるのは、こういう意味であってますか?


◯◯をしたいのだけど、よくわからないから、一緒に来てくれる?僕が困ったら、助けて欲しい。


暑くもないのに、ダラダラ汗をかき。目を何度もキョロキョロと左右に動かしながら。

…握った手をトントンと左頬に当てるのは、緊張するときのノスケのクセで(笑)

でも、たくさんの書類やら、準備やら、いきなり全部一人で引き取り。ウンウン困りながら書いたり、あちこちに書類出したり、本当に大学入学手続きの全てをやり遂げました。




当時私は、もちろん合格してすぐに、大学の事務室に相談していました。

ノスケは自閉症であること。でも、本人は自身のことについてちゃんと理解していて、その上で自立を望んでいること。

『基本、全て自分でやると言うのだが、もしも何か家族がフォローすべきことがあれば行うので、必要があれば連絡をください。もちろん本人には、出来ていないことがあれば伝えていただきたい。頑張ると言っているので、やらせます。よろしくお願いします。』

事務室は、快く引き受けてくださり。結局、卒業するまで一度も大学から連絡がくることはありませんでした。



それ以来の困ったことと言えば、全ての説明がノスケからしか為されないため。辿々しい言葉や、わかりにくいものが多かったことですかね。
留学するときも、いきなりでした。


…ドイツ…( ̄▽ ̄)


そう言って頬をトントン。
これは緊張して言葉が出てこないとき。



みっく:…。
→時間はかかるけど、ノスケの次の言葉が出るのを待ってる。



ノスケ:…カール◯ルーエに行きたい( ̄▽ ̄)



みっく:うん、よし。行ってこい。




どうして、そこに行くの?

何が、あるの?

なんでノスケ??


これは留学というか、研究のインターンシップで。ノスケ本人が、英文で作った自己推薦?を現地にメールして、審査してもらって合格したら行けるやつ。
内容を全く知らないまま、〝よっしゃ行ってこい〟って言ったみっくもみっくなんだけど。ノスケは自分で外国のインターンシップに応募して、全文英語の合格通知をもらって。ついでに飛行機代ももらって(笑)


じゃあ行ってきまース( ̄▽ ̄)


と、外人しかいない外国の国立研究所へと行きましたとさ。
とゆーのが、大学院時代の話。


世界中の、研究者を目指すタマゴたちが集う場所で、ノスケは4ヶ月間、一人暮らしのサバイバル生活をしてきた。
当時は世界のあちこちでテロが起きてて。
向こうにいる間も、テロの予告があるから外出禁止とか、ドイツの日本大使館から毎日毎日危険情報が出ていたのだけど。

ノスケは、


人が誰もいなーい( ̄▽ ̄)路面電車もお休みになってるぅ♪


と、フラフラと町を歩き。
研究室がお休みになる週末になると、ヨーロッパレイルに乗っては国境を越えて、自らの足で、目で、耳で、世界を見て回ってきたのでした。


この大学時代の〝何でも自分でやる!〟から始まった数々の経験は、間違いなく今のノスケの自信の源になっています。
出来れば、数年くらいかけて、世界中を見せてやりたかったなぁ。




そして、大学院の後期課程に進むという時に。ノスケの選んだ道は就職だったのでした。