自分に出来ることを。 | マイペースで歩こう☆

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ノスケから⇒全ての発達障害児とその家族へ。
『チャンスは常に目の前にある。自主性を持つことが一番大切。自分らしく在りつづけることです( ̄∀ ̄*)』




長かった夏休み( ̄ー ̄)久しぶりの出勤で、気分はすっかり五月病(笑)

この休暇は、たくさん人に会いましたよ。
何よりも…龍華ママさんのご好意にて実現した集い。みんなに会えて、本当に嬉しい日となりました。ありがとうございます。




さて、一言で発達障害と括られる私たちですが。凸凹ッ子と言われるだけあって、それぞれが『えっ?』っていうくらいの。もう拍子抜けするような部分だったり、あーやっぱりね的な部分だったりな。そう、特性ってヤツさ。千差万別な子どもたちは、各々で抱える悩みや苦しみが少しずつ異なります。
ただ、その中でも。時々自分に共通する部分はあって。だからこそ、『あ、それわかる!』みたいな。
龍華さんのオフ会では、それぞれがお互いに共感したり、『自分はこう考えるよ』的な意見を言ったり。場は、親の立場・当事者の立場、入り混じりながら話が展開していました。



みっくは、さ。いつもと同じように。そんな仲間たちの話を聞きながら、励ます気持ちで言葉を伝えたり、時には笑い飛ばしたりしてたんだけど。もしかしたら、軽いヤツだな!って思ったりした人も居たかもしれないのだけれどね。何でも笑って飛ばしちゃうのは、ワケがある。

私は、人が悩んだり落ち込んだりすることを否定はしない。悩むな、落ち込むな、っていう人がたまにいるけど、有り得ないよ。
人間には感情がある。泣いたり笑ったり怒ったり。自然なことだと思うから。いっぱい悩んで泣いていいと思う。

けどさ、悩むままとか、落ち込むままは違うと思うんだよ、私は。
悩みを悩みのまま抱え続けることって、ものすごく心に負荷がかかることだ。ずっと悩み続けて、答えを出せなくて、出口が見えなくて、不安でいっぱいになる。いっぱいになって、感情のコントロールも難しくなってしまって、楽しいはずのことを楽しいと思えなくなったり、何でもないはずのことにヒドく苦痛を感じてしまうようになり。やがては眠れなくなったり、食事を美味しいと思えなくなったり。心の負荷は、最終的には身体そのものを蝕むから。

だから私は、話しを聞くときは、一緒に笑おうと思うのだ。

心の負荷が、少しずつでも無くなるように。
あ、そっか。よく考えたらなんか笑えるな、あははは!って笑ってしまおう。

そう思うのだ。



ノスケは幼かった頃、『ボクね、不安なの』とよく訴えた。
それは、小刻みな震えを伴い。キツく握りしめた小さな拳が、血の気を無くして真っ白になるくらいで。囁くようなか細い声で、私に何度も訴えるノスケ。目には涙がいっぱい浮かんでいた。

過敏症のため、ひどい偏食になり、頬が痩けてしまったノスケを、私は毎日抱きしめたよ。
キュッと抱きしめながら、何度も何度も背中を撫ぜて。繰り返し耳元で伝えた。

『大丈夫。大丈夫だから、ノスケ。』と。



何が、不安なのか。あれはきっと、言葉では表せない気持ちなんだろう。原因の無い不安を常に感じる、それこそがノスケの障害だった。
だからノスケはひたすら涙を零す。漠然とした不安を常に感じながら、寝ても冷めてもそれは続き、自分の意識はずっと明瞭なままで。
生き地獄だ、そう思った。このままでは、ノスケは気が狂ってしまう、と。

けれど、原因の無い不安は取り除いてやれない。だから、繰り返し伝えたのだ。
ノスケが不安を感じ、涙を零すたびに。顔を引きつらせて笑うたびに。毎日、何度も何度でも繰り返した。

『大丈夫。ノスケ、ギュってしてあげる。ホラ、おいで♩』

膝に抱き上げ、笑顔で顔を見合わせながら、呪文を唱えるように繰り返す。

『大丈夫。大丈夫。母さんがいるから。大丈夫だよ、ノスケ。』


それは、ある意味…催眠術だったかもしれない。
トン、トン、とゆっくりと背中を叩きながら繰り返す。ノスケは時には眠ってしまったり、時にはピョンっと元気よく膝から降りて走り出したりした。
大丈夫、の呪文は。ノスケの成長とともに減っていったのだけど。





本当は。私がしてやれることなんて、何も無いのだ。
所詮己が越えるべきもの。どんなに願おうとも、どんなに請おうとも、『健常』は手に入らないから。

だから、不安だけ吹き飛ばしてやる。あれ、ボクどうして不安だったのかな?ってノスケが忘れてしまうくらいに。
そう願いながら、発達障害と向き合ってきた私だから。

だからね。
一緒に笑おう。それがみっくに出来る唯一だから。

笑おう。笑って一歩先に進め。
一緒に、歩こう☆