この声が届くまで③ | マイペースで歩こう☆

マイペースで歩こう☆

ノスケから⇒全ての発達障害児とその家族へ。
『チャンスは常に目の前にある。自主性を持つことが一番大切。自分らしく在りつづけることです( ̄∀ ̄*)』





真似る、ってことは、自分のオリジナルじゃないけど。
だけど、全ては。実は『真似』から始まるのだ。




たくさん笑うお母さんの子どもは、たくさん笑うことを真似る。一番側にいて、一番愛情をくれる相手だから。いっぱい真似て、親子は似るのだ。笑顔の可愛い子どもには、必ず笑顔の素敵なお母さんが側にいるのだ(^ω^)


文字を学ぶときも。手本になる字を見ながら、何度も繰り返し真似て書くだろう?
ピアノだって、習字だって、ダンスも。必ず誰かを…何かを『真似て』練習したはず。そもそも人類は、『真似る』ことに長けていたからこそ進化したのだ。


他の種の持つ特性の優れた部分を真似ることこそ、現代においては文明と呼ばれるものの始まりである。

空飛ぶ鳥に大空への憧れを抱き、生まれた飛行機も。

水に浮いて移動する水鳥に倣い、舟を浮かべて魚を取る。

動物のように、力強く早く。列車もクルマも。

憧れて真似て、試して失敗して。過去の偉人たちに共通しているのが『諦めない気持ち』だったのだから。




ならば。決して諦めるまい。感情の表現方法を学ぶことも、決して無意味では無いはず。

表現方法を真似ることは、初めは自分の感情を素直に表現することとは少々異なるかもしれない。だが、似ていることは、自分に近いこととして相手は親しみや親近感を覚え。そこに共感が生まれるのだ。
互いに共感持つ相手。それは、群れて生きるヒトの習性として。

すなわち。

家族、であったり。

仲間、であったり。

そしていつしか、自分にとって『大切な存在』へと変化してゆく。真似から始まるホンモノなのだ。




『相手』と『自分』を、同時に認識すること。このとき、他者と己の違いを認めて相手を受け入れることが『自己認識』というものである。

相手を理解するからこそ見える、自分自身。それは、他人という鏡に写したときの己を直視することなのだ。
つまり。己を認識できぬ者は、鏡に映る自分の姿をハッキリと見ることが出来ない。そして、これこそが。発達障害者の最大の困難なのである。

おぼろげな己をどう認識すれば良いのか。
どう判断せよと?

だからこそ、教えねばならない。伝えねばならない。おまえには見えないから。代わりに見よう。そして、全てを伝えるから。


20年に渡り、ノスケという発達障害の人と関わってきたワケだが。周りからは『よくもまぁ、そこまでバッサバッサと自分の子どもに言えるなぁ。』とため息を吐かれることが多かったが。
私はノスケの鑑だから。発達障害者が自己認識持てないままに他人に向き合うことが、相手にどう影響しているかを。そのまま全て伝え続けてきただけである。




私がサイテーに見えたなら。
それはノスケ、おまえの自己認識がサイテーだからなのだよ。