母の日の記憶(^ー^) | マイペースで歩こう☆

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『チャンスは常に目の前にある。自主性を持つことが一番大切。自分らしく在りつづけることです( ̄∀ ̄*)』




明日は母の日ですね。


私は、生まれて初めて。自分の母親にお祝いしたときを覚えています。




保育園で。『お祝いしてあげましょうね♩』と、カーネーションを折り紙で作ったり、カードを作ったりしましたが。小学3年くらいには。学校でそうした機会を設けられたことも無かったように思います。

それは、小学5年のときでした。




当時、私の父親は病気で入退院を繰り返し。夫婦で働いていた母親は、病気の父親の分まで忙しく働いていました。

当時、私たち家族は、5人で両親の切盛りするお店屋さんの二階に住んでいました。
6畳間が三つ。狭いお部屋で、一人でテレビを見ていたときのことです。

インタビューの映像が流れました。
『今日は母の日です。お母さんに感謝しましょう♩』
女の人が、赤いカーネーションの花束を手に。お花屋さんから出てきたシーンでした。

そうか。今日は母の日だったのだな…。と、思いました。



ふと、母親を思いました。こうして私がのんびりテレビを見ている間、母親は朝から忙しく仕事をしています。


一階のお店を覗けば、他の店員さんたちと仕事の話をする母親の姿が見えました。

私も。お花屋さんに行こう。
そしてお母さんに、笑ってありがとうを言うのだ。

母親の後ろ姿を見ながら、私はそう考えたのです。



自転車に乗って、友だちとよく行く雑貨屋さんに行きました。

ココは地元の女の子たちから大人気のお店で。
一階がブティック。ブティックの入り口すぐにある、螺旋階段を上がると。二階が雑貨屋さんになっています。いつもオシャレな小物がたくさん売っていて、お友だちの誕生日プレゼントには大変喜ばれたものでした。

何を贈ろうか。迷いながら見上げると。ガラスの風鈴が飾ってありました。それは、リーンと。キレイな音をたてていて。
母親にも聴かせてやりたいと思いました。

たしか。580円(笑)


風鈴を買ってから。ケーキ屋さんに行きました。お祝いだから、と思ったのだと思います。ケーキが150円だった(^ω^)


そして。私は生まれて初めて。
一人でお花屋さんに行ったのです。




お花屋さんを外から覗くと。何人かお客さんがいました。

入ろうかどうしようか。



迷いながらウロウロしていると。お店から男の子が飛び出してきました。

それは、普段は乱暴で有名な。同じクラスの男の子でした。いきなり叩かれたりするので、いつも怖くて話も出来なかった子でした。
でも。手には、一本のカーネーションが。

『…おまえもカーネーション買いに来たのか?』

そう話しかけられ、私は無言でコクリと頷きました。

『そうか。じゃあな!』

照れ臭そうに、ピューっと走って行ってしまいました。
あの子も買いに来たんだ。私も行こう。そう思い、お店に入りました。



カーネーションを下さい。そう言うと、店員さんは『どちらにしますか?』と。二種類ありました。

大きな花のカーネーションと、少し小さなもの。

小さなものは、少しみすぼらしく見えたので、大きな方を指差しました。



『300円です。』

財布には、270円しかありませんでした。おこずかいは千円しかなかったから。みすぼらしい方は250円でした。お母さんには、キレイな方をあげたかったのに。悲しくなりました。

お金が足りないです。お花をそっちに変えて下さい。
そうお願いしました。


店員さんは。私のお財布を覗いて。
そして、私の顔を見ながら言いました。
『オマケです♩これは270円にします♩』
と。



とてもびっくりして。そして、本当に嬉しかった。

ありがとうございます。そう言うと。
『それはお母さんに言うんだよ。』と笑って。カーネーションにリボンを結んで、渡してくれたのです…。






嬉しくて嬉しくて。すごい勢いで自転車を漕いで帰ったことを、今も覚えています。

いつもありがとう。それを私が笑顔で言えるように、思いやりをくれたお花屋さん。今はもう、どこにあったお店なのか覚えていませんが…。




あれから32年。私は必ず、毎年母の日には。お花を贈っています。

今年のお花は、アジサイの『万華鏡』。
⇒手に入れるのに苦労しました(笑)だって、ネット販売以外にほとんど!流通してないんだもの♩



これから母を連れて、受け取りに行ってきます。
きっと。32年前と同じ笑顔で笑ってくれるであろう、母親に。


心からの感謝をこめて…☆