1周忌法要ー6月を前に。 | 東洋医学と植物のちからと自己対話で心と身体をととのえる癒しびと miho

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植物、香り、音…自然の力、そして自分との対話でこころとからだをゆるめて満たしませんか?
流産、死産、新生児死などでお子さんをなくした方のグリーフに、心と身体両方から寄り添います。

こんばんは。


今日もオット出張中です。


私は実家で家の打合せをして、帰ってきたのが23時。。。



疲れた〜DASH!



でも実家のごはんがすき焼きだったので照れ
今週も美味しいものを食べてるオットに自慢笑




週末に少し遠出をしたのですが、その疲れを引きずっているのか週明けから身体がだるく、お腹が張ったりしていました。




片道2時間ちょっと、普段は何ともない距離ですが、調子は悪くないとはいえ妊娠前とは違いますね。。。



無理は禁物…!と改めて思いました。






ところで、先日のバースプランの記事にコメントありがとうございました。



仕事には行っているのでなかなか気力が回らず、お返事が遅くなりごめんなさい。


ご自身の体験を踏まえくださった貴重なコメントを参考にさせていただき、自分なりに考えていこうと思います。




猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま



週末の遠出というのは、たいせいの一周忌の法要でした。
実際の命日は来月ですが、諸々の事情により前倒しで行いました。


義実家のお寺へ出向いたのです。

義実家までは車で2時間弱、そこからお寺までは30分ほどの距離です。



初めは1泊の予定でしたが、土曜日の昼前から下腹痛と張りがあったので念のため泊まるのはやめました。


義実家は何かあったらすぐ病院にというわけにはいかない山奥です。携帯も圏外、帰り道に猿や鹿に遭遇するようなド田舎。



横になっても治まる気配がなく、最悪オットだけで行くか…という話も出ましたが、翌日は落ち着いていたので無事に出発しました。




この日も雲ひとつない快晴晴れ



たいせいの晴れ男っぷりは健在でした。


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お寺へ行く途中の最寄りの道の駅で、鯉のぼりも元気に空を泳いでました。



この鯉のぼりは、オットの故郷の町の特産で、県の郷土工芸品に指定されています。
今は一軒のみしかお店が残っていません。



たいせいの節句にはこの鯉のぼりを…と思っていました。




この日、その鯉のぼりを見ることができたのは、何か意味があるような気がしてすごく嬉しかったです。




たいちゃんもお空から鯉のぼり見てたかな? 








法要中は比較的心穏やかでいられました。



時おり涙ぐむこともありましたが、いつもと違うお経の方が気になって…笑





法要後の会食のときの方が心が落ち着きませんでした。





参列したのは私たち夫婦とそれぞれの両親、オットの弟家族と妹ちゃんだけでしたが、会食前に施主であるオットからの挨拶があり、やはり今子どもを授かったことを報告しないのは不自然だし、みんなの前で報告というカタチになりました。





どちらの両親にも報告済みだったので、知らなかったのは弟家族と妹ちゃんだけでしたが、みんなの前でというのがね。。。。




みんな気遣いのある人たちばかりなので、深入りして聞かれることもなく、体調を気遣う言葉をかけてもらいましたが、本当は報告するならこっそりしたかったな…というのが本音です。





弟家族には甥っ子がひとりいるのですが、たいせい妊娠中に奥さんと話をしたとき2人目も考えていると言っていたので、彼女の心中を思うと複雑な気持ちもあります。

私も不妊治療中は、姉妹・親戚の妊娠報告が怖かったので…

 



でも今日ここに集まった人たちは、言葉には出さなくても同じ気持ちでいてくれてると感じました。




法要は確かに節目として大切なものだと思っていますが、(熱心な仏教徒ではありませんが、たいせいの死後仏教の教えについては前より深く知りたいと思うようになりました)法要自体は儀礼的というか…特に実感もなく終わりほっとしました。



でも、やはり実際に生まれた日やお空に還った日を迎えることを考えると少し胸がドキドキしたり、そわそわしたり、動悸?がしたり、眠いのに眠れなかったり…落ち着きません。



もうすぐ1年…再びあの6月がやってきます。



あれからもう1年経つなんて…改めて振り返ると驚くほど早く感じます。
妊娠してからのひと月はものすごく遅く感じるのに…。



環境も心境も変化が目まぐるしかったといえばそうかもしれません。


さまざまな感情と向き合い、受け入れ、変化していくのを感じてきたし、1日1日を大切に過ごそうと(本当にそうできたかは…?ですが)してきたからかな。



 

去年の6月の終りに綴った思いをもう一度胸に思い返してみました。



あの当時の私は、絶望的な悲しみから這い上がろうと、たいせいの生死の意味や自分の人生の意味を見出すことに必死だったように思います。



でも必死だったからこそ、あの時から前に進むことができているのかもしれません。



今の私は、あの時誓ったような生き方に向かって進めてるのかな…



もう一度振り返りながら、たいせいと出会えたことの幸せ、そして今たいせいの繋いでくれた命とともにいる幸せを改めて感じつつ、今年の6月を過ごそうと思います。