重い芝居と聞いて行ったのですが
さすが三谷さんテーマは重くても見せ方はユーモアたっぷり
笑いながらやがて泣けて来ると言う・・
そうなんです。私は終わりに泣いていたのですが
自分ではっきり何に泣いてるのか良くわからなかったんです。

以下ネタバレ注意



権力にすりよっている人間が最後の最後にきちんと一線を引くところ
そこに感動する。
 私は権力にすりよる人間がいてもしかたないと思う
そんなふうに生きたくは無いが、表現できなくなるか、妥協して生きるか
といったら妥協する人間は多いだろう。
 (そうはなりたくないが) それでも最後の守るべき人としての
ラインを守る姿に泣ける。

映画への愛は、みんなで力を合わせて作り上げて行く事への愛
そして他者の作り上げた世界を愛すると言う事
要するに他者への愛と信頼で成り立っているんではないかと
一人になったゲッペルスはたった一人の監督では映画は成り立たないと
監督に言い放つ。
狂気に支配されるゲッペルスもまた映画を愛してやまない。

その矛盾。そんな残酷な矛盾に泣く。

そして彼一人では映写機もまわせない。
映写機を回しに帰って来た執事は、最後になるであろう
映画を主のためではなく本人が楽しんでいる。
彼の残りの人生のわずかな自由の時間を映画ですごす。
 この彼の気持ちが泣ける。

私が病気になった時、私はやみくもに映画がみたかった。
そして時間の合う映画を突然見に行った。
ほんとに作品はなんでも良かった。
映写機の中には違う時間が入っているのだ。
こことは違うどこかの世界の話が。
 それができが悪かろうが良かろうがなんだか愛しいのだ。
それを本気で作っている人がいる以上愛しいのだ。
そして映画のある世界に生まれた自分の幸せに泣く。

それほど映画というのはすごい。


そして権力とか財力とか、創作を牛耳る者に対して
表現者は創作者はできる限り自由でいようとする。
それは人それぞれに違うスタンスでだろうがぎりぎりの線を探す。
その気持ちがわかる。

そしてやってはいけない、踏み越えてはいけない場所があるのもわかる。
欲望や金に支配されてはいけないのだ。
それが目的となってはもう自由ではない。


今権力の側にいて自由に発言できない人たち
いつまでもその世界は続かないかもしれないよ
その世界が崩壊した時、あなたたちは恥じ入らずにいられるよう
生きてください。是非、
そんなふうに 今の事にたどりつき

また泣ける。