こんにちは~(^^)♪ みちよです。
恋愛ブログ、久しぶりです。
今日はどストライクの「恋愛」で書いていきます。
わたしはもう結婚していますので、
誰かとお付き合いして…という恋愛のステージにはいませんけども、
旦那さんは、今ではパートナーであり、家族であり、友人でもありますが、
同時に”恋する相手”でもあります。
激しい恋とは違いますけども、引き合います。
この引力も、以前の引力と比べれば、まあ落ち着いたものにはなっていますけど、
引力は消えていない。
むしろ、この見えない引き合う力の種類が変わった感じで、
いまだに引き合ってますね。
そういった意味で、今は落ち着いて”旦那と恋愛”できていると思います。
…で、ふと昔のことを思い出しました。
昔昔、
恋愛も恋愛、不慣れな恋愛ばかりしていた若かりし頃。
誰かを好きになると、もう魂まで持って行かれてたな…と。
その人の存在=わたしの命
になってて、
その人と一緒にいることが、この世で最も重要なことで、
その人がこちらに向いていると、この上ない幸せを感じ、
その人があちらに向いていると、死にそうになるくらい苦しい。
それは、誰を好きになってもそうで。
言ってみれば、
これが「燃えるような恋愛」だったんだな、と。。。。。
めちゃめちゃ燃えたけど、
燃えて、燃えすぎて、真っ黒に焦げたくらい(笑)
苦しみの中にいました。
だって、死ぬほど好きになってしまったから。
…今思えば、
こんなに相手に「持って行かれた」のも、わたしが
相手のようになりたかった(=わたし自身ではそう生きられないと思っていた)
からなんですね。
だから、相手を自分以上に崇拝して、必要として、
相手と一緒にいられることが、自分の至上の喜び…になっていた。
そして、わたしがこんなに恋してしまう相手はすべて、
何かしら”表現”する人だった。
相手を見ると、キラキラ輝いていて、
自分の思いを実行していて、楽しく生きていた…。
大人になった今、
スピリチュアルな目線で見られるようになった今ならこう思う。
燃えるような恋愛って、自分を失っていることを教えてくれるものなんだ、と。
でも、渦中はそんなことわからへん!(笑)
これが愛!
これが恋愛!
なんてロマンチック!!
と一人浮かれるわけです(^^;)
この燃える感覚、自分を駆り立ててくれる情熱。。。。
こんなものすべてが、たった一人との相手からもたらされるなんて!
もう、この悲恋のラブストーリーの主人公はわたし!くらいに思い込んでいる(笑)
実際、本当にそんな世界で生きてしまうので、
さらに自分が見えなくなっていくんですけども。
…そしてこの燃えるような恋愛の結末ですが、
自分を見失っている状態で相手を祭り上げて、相手に全権を委ねていますから、
たとえ、付き合うことになっても、ぜーんぜん上手くいかない。
わたし自身、もう何度もこれは立証しています(笑)
…そして、ついこないだ、
エリック・クラプトンの自伝映画を見たんですけど、
まーこれが、とても心に響いて。
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元々、クリームとかブラインドフェイスとか好きでしたけど、
特に、エリック・クラプトン個人に興味持ったことがなく…
(というか、正直あまり好きではなかった)
この映画、自伝なので、
もちろん音楽的バックグラウンドが主な部分なのですけど、
監督さんが女性だからか、
エリック・クラプトンの”内側”にしっかり焦点を当てていて、
特に、女性関係のエピソードのあたりは、
叶わなかった「悲恋の物語」なのですね。
エリック・クラプトンの名曲「レイラ」は、
(※1971年のデレク&ザ・ドミノスの曲)
ビートルズのジョージ・ハリスンの奥さん(パティ・ボイド)を愛してしまったエリックが、
好きで好きで好きすぎて、曲にしてしまった…というもの。
(このパティ・ボイドがめちゃめちゃ可愛い人なんですけど、
ジョージ・ハリスンからも曲にされている(サムシング)という…。
この世には一人で何度もミュージシャンから愛される人がいるんだわ…)
曲のいきさつは知っていましたけど、
エリック・クラプトンの「持ってかれ方」がすごくよく分かるのですね。
内容ネタバレになるかもしれませんが、
子供の頃のエリック、お母さんに捨てられて拒絶されたことを、
同じく、パティからも拒絶をくらって、
おんなじ体験を繰り返している。。。。。。
これって「自分は受け入れてもらえない人間なのだ」という彼の子供の頃の意識が、
大人になって、大大大好きになった相手からも「ごめんなさい」と言われることで
ああやっぱり…
といった意識の再刷り込みをしている感じです。
エリック、もちろん自暴自棄になります。
そこから自分をさらに見失っていくんですけども…。
(しかしパティにそんな激しい情熱を持っていても、
実際は他にも女がいたりするのですが…男って複雑…)
それからいろいろあり、パティは(これまた浮気者だった)ジョージ・ハリスンと離婚、
エリック・クラプトンは、晴れてパティと結婚するのですが、
そこまでしたのに、今度は自分でダメにする(!)
これって、
「本当に好きな人に愛されていい」
という許可が出なかったんだと思うんですね。
自分は拒否られる、そうさ、そうなんだ。。。。俺は孤独さ。。。。
と言わんばかりに、ブルースの世界を地で行って、
自ら泥沼に陥らせてしまっている感じ。
結局、恋愛だけでは救われなかったエリックは、
最終的に自分の息子の存在と死によって更正していきます。
(この部分にわたしはガイドや見えない存在の介入を感じます)
「レイラ」
パティへの愛の歌の裏側に、
彼の子供の頃の感情が含まれているのだな~とわかった時、
曲の聴き方が変わりました。
…わたしがこの映画で感銘を受けたのは、
エリック・クラプトン自身の生き様のすごさもありますけど、
(マジでラリってるシーンまで出てきます…普通、スターとしてはここは隠したい過去だと思いますけど、
結構、あけすけに見せちゃってる)
自分の情熱を、
ここまで素直に表現してしまっていること!
エリック・クラプトン、すんごく素直!
良くも悪くも、素直すぎる。。。。
そして、その気持ち、よくわかる!
まっすぐな、本当に直球の切なさ、狂おしさ。。。。。
自分のものにはならない激情を、歌で表現するところまで昇華させたんですね。
ミュージシャンだからなせる技ですけど、
この曲は、この人がここまでの激しい恋をしたからこそ生まれたものだと思うのです。
あの激情があったからこそ、
こんな素晴らしい曲が生まれたんです。
”あの人”と一緒にいたいのに、いられない苦しみ。。。。
わたしにとっては”今は昔”、の感情ではありますが、
それは、かつて同じようなことを経験したことのある人なら、
誰もがわかる気持ちだと思うのです。
みちよ