SWITCHインタビュー 高橋一生×中村拓志 | 小林美千代 my dear, jazz sax life♪

小林美千代 my dear, jazz sax life♪

ジャズサックス奏者。ライブスケジュールや近況など。2019年11月、サードアルバム「Land Of Dreams」リリース。1999年、土岐英史のレッスンを歴代最速で卒業。2012年より4年名古屋芸術大学でジャズサックス講師。

HP→http://michiyo-jazzsax.music.coocan.jp/index.htm

12/19のSWITCHインタビュー 達人達
「高橋一生(俳優)×中村拓志(建築家)」
の高橋さんの言葉メモです✏️

どんなジャンルにも共通に言えることですが、
「俳優」という山、「建築家」という山の
高みを目指して登っていくと、
同様に上り詰めた人同士には
共通の景色が見えてくるものですね。

残しておきたくて、つい…φ(..)
皆様にも共有させて頂きます。
 

高橋さん
「(演じる上で、)
緻密さとすごく相反する言葉なのかも
しれないですけど、
緻密さとやっぱり大胆さがないと
つまんなくなっちゃうんですね。
 
だから、何かこう、
緻密に作り込んでいくもの(演技)を、
本番が始まった瞬間に
壊したくなっちゃう衝動が
出てきちゃったりして」
 
 
「反射で出てきたもの(演技)が
本来のもののような気がしていて。
例えば、一緒に海沿いの堤防を歩いていて
人が落ちそうになった時に、
反射で手が出るか手が出ないかで、多分、
何か後で自分の感情付けが出来るというか…
 
その時に一緒に海に落ちて
死んでしまうかもしれないんだけど、
手が出てしまったら、
きっとそれはすごく反射で、
自分の中で何か染み付いているもの(のはず)」
 
反射の行動とは、ギリギリのその瞬間に
その手が出るか出ないかで、
自分の本心が露になるってことでしょうか…
それがその時の、その人の本心であると…
やるか?やらないか?で、
自分の本心が試されていることになる…
役の作り込みには真実はないと…🤔

 
高橋さん
「僕はどこか、役にジャンプする感覚(憑依)が
ないんですね。… 
もしかしたら(演技で)、
『いつか成り得たかもしれない自分』に
なっていく、っていう行為を
してるような気がします」
 
「人間の魂っていうか、
本来の人格って、その状況とか
そこに置かれている自分というもので
いくらでも変わってしまうぐらい
曖昧なものだと思っていて」
 
私もそう思います👀 
だからこそ、自分を取り巻く環境が
穏やかで平安な社会であってほしい…

高橋さん
「人間の自我とか、
目に見えない心みたいなものっていうのは
曖昧だと思っているから、相反してるものが
自分の中では繋がってるんだと思います」
 
「もっとすごく曖昧なものを…
人間の心みたいなものを扱う時って、
それを一つ、
『(これが)答えです』って言ってしまうことで、
(ある物事を)『正しい』と『悪い』って
判断してしまうと、
10人いたら10人が分かるものを作って
(しまうことになってしまう…)、
それもある意味、表現としては
正しいのかもしれないんですけれど。
作品として…」
 
中村さん
「ちょっと暴力的だったりしますよね」
 
高橋さん
「ある一方的さを感じると言うか。
なんかそこに、見てる人の心だったりとかって
ものが加味されることによって、
味付けが全く変わってしまうようなものを
いつもやっていたいんですね。そのやり方が、
読んで字のごとく『芝居』です」
 
 
高橋さん
「『芝』の上に『居』るだけで
何かを語れるようになるのが、
僕は『芝居』だと思ってるんで」
 
中村さん
「高橋さんにとって
芝居っていうのはなんですか?」
 
高橋さん
「『自分の救済』ですかね。多分、
誰かのためにお芝居をしてるっていうことが
とっても難しかったんですよね。
役とその作中に入っていくことによって、
自分の人生を補うみたいな感じが
子どもの頃からずっとあったので」
 
 
「(芝居の中には、)
自分の人生で生かせるものが
たくさんあるんですよね。
そこでないと出来ない感覚だったりとか
っていうものが、疑似でも生まれてくるんです。
そうすると、結果的に
自分のことを救っていることになっていて。
 
どうしてもお芝居っていうことをやると、
まず自分のためっていうことをやらないと、
人のためにっていうことには
到底なれないような気がしていて」

音楽の演奏家も同じですね👀
 
 
高橋さん
「何か物を作ったり、資格があったりとか、
いろんなことで
(自分を)安心させることもできず、
(芝居は)とても無形なものなので、そうすると、
まず自分のことを先に救っといた上で、
結果的に(観ている人も)救われてるといいな、
ぐらいの気持ちじゃないと、
なんだか居心地が悪いんですね」
 
中村さん
「確かにそうですね。
やっぱり誰かのためにじゃなくて、
まず自分があって、自分が幸せになった上で、
次に誰かを、身近な人を幸福にして、
どんどんそれを更に外に広げていく
っていうのが多分、一番長続きするし、
自然だと思いますね」
 
 
高橋さんは、2020年2月の舞台
「天保十二年のシェイクスピア」で
村を混乱させる悪人「佐渡の三世次」を演じた。
 
高橋さん
「僕は今までにない、
完全無欠の悪役に思えたんですね、
僕の役が。 なんですけれど、
お芝居をさせて頂いている内に、
庇(かば)いたくなってくるんです。
どうしてもその役を。
 
そうすると、この彼の生い立ちが、
結局影響してないだろうか、とか(思い始める)。
いろんなものを考え始めていくと、決して、
彼が極悪人と僕には見えなくなって
しまったんですね」
 
先程の発言、
「本来の人格って、その状況とか
そこに置かれている自分というもので
いくらでも変わってしまうぐらい
曖昧なものだと思っていて」
という言葉に繋がっていますね👀

高橋さん
「なんだか、それをこう通してみた時に、
世の中には現実でも、
『(あなたは)悪い(人)です』
って言われてしまう人、
『あなたが悪い』って
多くの人から言われてしまう人も、
何かこう、のっぴきならない事情で
そうなってしまったのかもしれないと思える
『想像力』って、僕はすごく大事だなと」
 
 
高橋さん
「やっぱり善悪の二元論じゃないのかも
しれないし。
なんだか、そういう想像力を
多くの人が持ってもらえることっていうのは…
結局、自分がお芝居を
させてもらっている以上は、
そんなことをふっとでも触れてくれる人たちが
増えるといいなと。僕も実際、
お芝居して気づかされていくことが多いので、
僕らが担わせてもらってる文化(芝居)って、
多分そういうことなんじゃないかと」
 
中村さん
「高橋さんの今後の展望、
あるいはビジョンみたいなものがあれば
教えてください」
 
高橋さん
「自分が役を(演じることを)通して
表に出てきたものっていうのを、
(観る人)それぞれの主観で感じてもらうこと。

人の言っていることに影響されず
自分の中で思考することとか、
自分だけの世界だけで想像することが、
多分これから(の時代、)
ものすごく大事になっていくようか気がしていて」
 
本当にそう思います👀
何事も他人の言動に惑わされずに
自分の目で見て吟味して想像を巡らし
見極めていく洞察力が大事ですね🔎



 
高橋さん
「それ(=想像を巡らすこと)を
まずスタートしない限りは、
多分、『共有(共感)』なんて幻想で。
本来の共有って、多分、
自分の個々の想像力とか、
個々の主観がはっきりしていないと
共有は出来ないんだと思うんですね。
じゃないと共有の喜びってないから」
 
 
「なので、そういうことをもう少し、
全然上から目線でもなんでもなくて、
こう、(俳優としての自分が)
提示していけるようになれたらいいかな、
とは思いますね」
 
中村さん
「高橋さんの芝居を通して、
もっと人への『想像力』っていうのを
みんなが持つようになったら、
それはすごい素敵なことだなって思いますね」
 
ほんとにそうですね(>_<)

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私も昔から、同様のことを書いてきました。
今から15年も前の5/18付けの記事ですが、
宮本亜門さんのことを書いてます。
やはり、演劇人の方というのは、
その使命感に、
「みんな!安直に正悪を決めないで
もっと背景を想像する『想像力』を持とうよ!」
と語りかけるようなものを
お持ちなのだと思います。改めて。

高橋さんもそうですが、演劇人の方は、
人間の感情を客観的に眺めるような
観察眼が必要な職業のせいか、
目に見えるものだけで判断しない、
短絡的ではない思考回路を
お持ちなのだと思います。

自分の感情ですら、眺めて客観視するのは
とても大事ですね。
自分の感情に埋没して居着いてしまうことは
人としての成長が出来ない…

感情の波立ちは、大海のほんの表面の出来事…
とは仏教の教えでしたっけ?

テレビに出る芸能人には
歌手、お笑い芸人、タレントなど
様々にいらっしゃいますが、
人の心を扱って人を演じる仕事という、
俳優や演劇業界の方は、思慮が深く、
人として成熟されている方が多いような…
人の可能性を信じられる優しさがあるというか…


当時の他の記事にも
同様な記事がありますので、
お正月の空いた時間にでも
ぜひお読みくださいませ♪


以下、私のHPから転載しました💻
2005.5.18
NHKの「課外授業、ようこそ先輩」をたまたま見ました。この日の「先輩」は、舞台演出家の宮本亜門さん。昨年、「太平洋序曲」でNYオンブロードウェイに進出、東洋人の演出家としては初めてのことです。作品は「ペリー来航」を描いていて、日本人役にたくさんの人種のアジア系アメリカ人を配しています。「アジア系の俳優達が話し合いながらこの劇を作っていくのがいい」と思ったんだそうです。「ペリー来航時、アメリカは日本に対して大いなる威圧感でもって迫ってきたけれど、現代もアメリカは目に見えない圧力を他国に与えている」とNYのブロードウェイで堂々と主張している、と亜門さんがトーク番組で話してたように記憶してます。当のアメリカ人は、実は自分の国がそのような脅威を他国の人々に与えているなんて気が付いていなかったから、この主張を意外に思ったようです。
 さてTVの方、生徒は亜門さんの出身小学校の6年生。亜門さんは、戦争中、目の前で母親を銃で撃たれて亡くした、8歳の女の子マリアの実話を話してました。少女の母親は「このナップサックを持って逃げなさい!」と言い、少女はそれを受け取って走る。その後、少女は6歳の負傷した少年と出会い、少年の面倒を見て連れて歩いた。この話から、「少女」の気持ちを描いた物語、または「少女の母親」の、「母親を撃った兵士」の、「撃たれた少年」の気持ちを描いた物語を、生徒達がそれぞれに誰かを選んで、想像して創作した物語を発表。すると子ども達、「実は兵士にも子どもがいるので、少年を撃ったことを後悔している」とか「少女の母親は、少女が自分を置いて逃げてくれて嬉しかった」とか「少女の父親も実は兵士で、自分の父親もこうやって人を殺すのかと思ったら悲しかった」などと、たくさんの想像をして物語を描いてました。亜門さんは最後に、「命の大切さをちゃんとわかって欲しい」「人の心を想像できるようになって欲しい」「みんな人間は一緒なんだ!誰にだって親がいて家族がいる。もし何かあっても『相手だけが悪いんだ』って思わないで欲しい。敵の兵士にだって家族がいる。相手の立場を想像する余裕をもって欲しい」「…そうしたら戦争なんてなくなるはずだから」というようなことを言ってました。一生懸命、生徒達に自分の気持ちを伝えようとしていて、とても真剣で、見ている私も心打たれました。亜門さん熱い!自分を取り巻く環境が良くなっていって欲しいものですよね。