おかえりなさい(^^)♪ みちよです。



やっぱりいつものように(!)慌ただしく12月です。


寒さも増してきましたね。


皆さん、どんな風にお過ごしですか?


新宿のクリスマスのイルミネーション、綺麗です。





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今日は、摂食障害について書きたいと思います。



わたしのクライアントさんの中で、


摂食障害で苦しんでいる方も少なくありません。





いつものように、


わたしが視てお話することは、



あくまでもスピリチュアル(意識、波動)の世界の解釈です。



わたしは医療の人間ではありませんが、



身体に出てくる症状(病気)は、主に意識が作っている



というものがわかる以上、


このようにお伝えする以外ないんですね。



なので、


心当たりがあったら、それでいいと思いますし、


そうでなければ、信じなくてかまいません。



特に摂食障害は、


その原因となっている部分を受け入れるのが困難な部分でもあり、


意識の世界の複雑さも相まって、


根本を理解しない限り、ぶり返しやすい


という症状でもあります。




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摂食障害を視ていますと、必ず


「罪悪感」


が関わっています。


多くは「母娘」の間で持ってしまった罪悪感です。



母から愛されたい、でも憎い、
といった


相反する感情の矛先を、


「自分を悪者」にすることで収めた結果、


症状として出しているのが摂食障害と言えるのです。







娘は「母から好かれたい、大事にされたい…」


と思うがゆえに、


もしそうではなくなった場合


(母が不機嫌、娘に厳しい、褒めない、等々)



「自分のせいで、お母さんから大事にされないんだ」



と思います。



娘は常に母に同情をします。



母に好かれなかったからといっても、ここで、


「わたしの何が悪いの?」


と母を責めるほうには回らず、



「自分が悪い」




というほうに持って行くのですね。



なぜなら、母を責めては「可哀想」だと思っているからです。



母に愛されたい


でも


母は嫌い



でも、責めては可哀想…



という行ったり来たりの感情を、



ひとまず「そんな風に考える自分が悪いのだ」



と自分のせいにして押し殺すのです。



ここからは、単純に


「○○ではないのは、自分のせい」


という風に、


なんでも自分のせいにする癖として持ってしまいます。


(「もっと痩せなければ綺麗でない」というのも、自分のせいにする意識から来ています。)




でもほとんどの方は、それが「母」からもたらされた感情だということを(最初は)認めません。



ご本人は、


罪悪感を持っていることまでは気づけても、


「母のせい」にはしたくないからです。



こうして、自分の中に押し込めた


「愛されたい」


「でも嫌い」


「でも責めてはいけない」



そして、その結果



”枯渇した愛への欲求”




にスパイラルさせた時、



過食が起こります。


過食は、足りない愛への欲求を、


別のエネルギー(食物)に代えて摂取させる行為です。


お腹が空いているわけではないのに、


とにかくお腹に食べ物を入れないと気が済まないのも、


この”枯渇した愛”を欲する代替行為です。





そして過食をすると、必ず”罪悪感”を持ちます。




これは、過食の行為だけでなく、


過食の裏の欲求(=愛を欲する行為)を、


”悪いこと”


と自分で自分に言い聞かせているのです。




先ほど書いたように、



「自分のせいで愛されない」


はずなのに、


「そんな自分が愛をもらっていいわけがない」


としているのですね。



そして嘔吐します。


嘔吐、というのは非常に苦しい現象ですけども、


摂食障害の人は、これによって


罪悪感から解放されるのです。



「愛をもらえない自分」から「愛を取り除く」



ことで、


「ほらやっぱり」


「これが本当のわたしにふさわしい」



とホッとすることと同時に、


食べ物を吐き出すことで、


「憎い、嫌い」



といった、どこにも出せない本音の感情も一緒に吐いているのです。





だから、摂食障害の方に、


過食嘔吐を早く辞めましょう、と言うのは逆効果なんですね。



まだ、多くの治療施設では


過食しないよう、嘔吐しないよう指導するところがあると聞いています。



治療に当たっても、まず


「どうして摂食障害を起こすのか」


の深い部分の心理を知らなければなりません。


でないと逆効果になってしまうこともあります。





過食嘔吐はある意味の、カタルシス。



感情で認められない部分を、



食を通じて表現している代替え行為なんです。




拒食になるのは、


罪悪感から自分を縛ってしまうと起こります。



食べ過ぎた自分をさらに罰して、


(もうこれ以上)自分を責めないようにするために、


”食べない自分”を作っているのです。




そうすると、これも当然ですが、


振り子が一方からもう一方まで揺り戻されるように、


また過食に戻ります。




拒食も、自分を責めて責めて、苦しくなった結果、


これ以上責めたくない一心でやるのですが、


そこでもまた、さらなる「愛の枯渇」を経験しますから、


限界が来ると、また過食に戻る…という感じです。




これらのサイクルを繰り返してしまうのが、


摂食障害なんですね。





なぜ食べ物が愛の代わりになるのか、というのは、


人間の肉体にとっての”栄養”が食べ物だからです。


食べ物を与えなければ、人間はいずれ死んでしまいます。




一方、精神にとっての”栄養”が愛なのです。


愛がなければ、心が死んでしまいます。


そして、自分に対しての愛として、


コントロールしやすいのが、


口から入れる食べ物。




例えば、子供の頃、


愛情不足で育った人が、大人になっても痩せていたり、


どんなに食べても太らないのは、


食べ物をもらえなかったことよりも、


愛情をもらえなかったことを「身体」で表現している、


とも言えるのですね。





身体と心が、これだけ密接に関係していること。


わたしたちは、どの人も感情を持っていますが、


「見えないから、誰にも言わなければ、わからないからいいや」


としていると、


心だって元気なくなっていくのですね。


感情も、ちゃんと面倒を見てあげないと、


身体で表現してしまうこともある、ということなんです。




摂食障害の方のご相談は、


ご自身でも気づかないように巧妙にしまい込んだ


感情の苦しみ


を持っているケースがほとんどです。





自分一人で我慢しないで、


お友達でも、信頼できる人に話してみたり、


聞いてもらえる人を持つことは、


本当に大切です。



何よりも、


「母に対して(誰に対しても)、好きも嫌いもあっていい」



と認めてあげること。


そして



「摂食障害も、どんな不具合も、


わたしのせいにしなくていいんだよ」



と自分に言ってあげられることが、


摂食障害を克服する入り口になります。





どうか、今苦しんでいらっしゃる方が、


少しでも楽になってくださいますように。








みちよ


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