おかえりなさい(^^)♪ みちよです。



今日は、珍しくわたしの身内の話を書きたいと思います。



…よく、霊能の世界では、


「見える・聞こえる」


というということが重要視されますが、


わたしはほとんどの場合、


目で見えるわけではないし、耳で聞こえることもないのですね。


わたしは霊能師ではないので、あまり亡くなった方々とコンタクトはしませんが、


するとしても”目や耳”を使って会話しているのではなく、


アタマの中


言葉としてメッセージを受け取ることはあっても


耳で聞く のではなく、アタマの中に響く声を拾っている感じです。


リーディングでお答えすることも、


その アタマの中 に入ってくることを翻訳してお話ししている感じです。



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・・・わたしには、10歳の時まで祖父がいました。


おじいちゃんがいる本家に子供がいなかったため、


生まれてすぐ、わたしを養女に取ると決め、


子供がいなかった伯母にわたしを預けさせ、面倒みさせていました。


小さい頃はそんなわけで、


実の家とおじいちゃんの家を行ったり来たりして、


なんとなく、家が2つある感じだったのです。


(おじいちゃんが亡くなったので、養女の話は立ち消えになりましたが)


実の親は冷たかったのですけど、


唯一、おじいちゃんだけは愛情を与えてくれていました。


今でもそれには感謝をしていて、


この人がいなかったら、


愛情をどこからも感じられなかったのではないかな、と思うのです。




地元の名士で、社交性にもたけ、顔も広く、


役員とか長とかを頼まれるとやってしまうタイプ。


そして実際に市議会議員も務めていました。


いろんなところから、表彰状やら盾をもらい、


家じゅうに飾ってありました。


お葬式の時には、何百人という参列者がきました。


今思うと、酒豪で昭和の政治家タイプの性格は


家族に多大な影響(迷惑?)を与えていたこともあるのかなぁ、と思いますけど、


わたしにとって、おじいちゃんの膝は”避難場所”だったのです。


どんなことがあっても、そこにいる間は守ってもらえましたから。



おじいちゃんが10歳に時に突然亡くなり、


心の行き場を失いまいました。


これからはもう誰にも守ってもらえないのだ、と絶望したんです。



亡くなってからは、



天国のおじいちゃんに語り掛けるようによくお祈りしていました。


おじいちゃんの家は隣の市だったのですが、


夜9時になると防犯のためか、


市のスピーカーからチャイムのような音楽が鳴るのです。


(そんな田舎町です(笑))



その音楽が聞こえてくると、おじいちゃんを思い浮かべて祈っていたのですが、



実の両親に虐待され辛い時は



「なんで死んじゃったの、なんで一人にしたの、ひどいよ!」



と泣きながら手を合わせていました。




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…そして長い年月が経ち、


去年の12月。


その日は、わたしの誕生日でした。



昼間、旦那さんも仕事に行って、一人で家にいたので


「今日は誕生日だけど、一人でお祝いするしかない~」


と(なんとなく笑いも込めて)心の中で思っていたんですね。





そしたら、突然聞こえてきたんです。


あの懐かしい音楽が。。。。


アタマの中に。。。。



おじいちゃんを思い浮かべながらお祈りしていた時の、


隣町の「チャイムの音」。



少なくても、20年以上聞いてない音です。



お前は一人じゃないよ~ 見守っているよ~


誕生日おめでとう~




という、おじちゃんからのメッセージだと瞬時にわかりました。


チャイムのことを知っているのは、


天国のおじいちゃん、ただ一人。



この音楽に合わせておじいちゃんに語り掛けていたことなど


誰にも話したことはありません。



これは、わたしと天国のおじいちゃんだけが知っている”秘密”でした。



だから、この音楽自体が”メッセージ”。


おじいちゃんが、自分の存在を伝えるために、


一番わかりやすく効果があるものだと知っていて、


わたしのアタマの中に送ってきたのです。






・・・そしてまた最近になって、


おじちゃんのことを思い浮かべていました。



生まれた瞬間に、わたしを養女に指名したこと。


わたしの他にも、いとこたちがいたので


わたしでなくてもよかったはず。


どんな子供に育つかわからないのに、


今から思うと、不思議なこと。



生まれてすぐのわたしを即座に指名したのは


なんだったんだろ、、、と考えていたんです。



スピリチュアル的にとらえると、


きっと、わたしもおじいちゃんも”魂のお里”が一緒なんだろうなぁ、


だから同じ郷里のものとして、ピンときたんだろうなぁ


とか考えていたんですね。



わたしが10歳の時に亡くなったけど、


そういうえば、おじいちゃん何歳だったんだろう?


当時はショック過ぎて、


いろんなことを忘れてしまっていたのです。



そうしたらふと、


「ネットで見つかるよ」


という直観がわいてきたんですね。


まさか!


だって昭和50年代のことだよ、


ネットだとしても、何でもかんでも見つかるわけないじゃん、、、、と思いつつ探ると、、、、



・・・・確かにありました。


信じられないことに、35年以上前に亡くなったうちのおじいちゃんの情報をネットで見つけたんです。



明治45年生(1912)まれ

…これは、市の郷土資料館の資料にありました。
おじちゃんは生前、家に代々伝わってきた江戸時代からの農工具を郷土資料として市に寄付していたのです。
その時の資料冊子のPDFに生まれ年の記載がありました。


昭和56年(1981)死亡

…これは、市議会の中の会報誌で、国保税の何かの役に就いていた際に突然亡くなったため、代わりの役員を任命する理由として記載されていました。



この情報により、69歳で亡くなっていたということがわかりました。



そうか、まだ70前だったんだな。


いつも忙しくしていたからなぁ、、、、


と感慨深くいると、


またまた直観で



「写真も見つかるよ」



というのがきました。



ええ~さすがに写真はないだろう、、、、、と思って


半ばダメ元で探してみると、、、、、


・・・あったんです(笑)








不鮮明ではありますが、


まさしく、これ、うちのおじいちゃん!


市の広報誌のアーカイブに載っていたんですよ。


感動しました。



(…親族の中で、ネットに顔が載ってるのは


わたしとおじちゃんだけ、というもの


不思議な奇遇です)





…わたしの場合、スピリットとは


直接目で見たり、


耳で聞いたりしてのコミュニケーションはできませんが


こんな風に、


アタマの中にテレパシーで伝えてくれることを受け取っています。



おじいちゃんもそれを知っていて、


わたしがちゃんと受け取る形で情報を入れてくれたんですね。




やはり魂のお里が一緒なのでしょう。


今でも、心が通う感覚があるのがおじいちゃんです。



亡くなってから、もう何十年も経ってますが、


今も見守ってもらえているという実感があります。








みちよ