おかえりなさい(^^)♪ みちよです。


Twitterでご質問があったので、


今日はこっちでお返事書きたいと思います^^



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【ご質問】



シルバーバーチの霊訓


という存在があることをインターネットで知り、


怖くなりました。


過去世やこの世での業があっても


(誰かを傷つけた、ダラダラしてしまう性格等あっても)


引き寄せの法則で幸せを望むことにどう思われますか?


人はカルマ解消の為産まれたそうです。




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セッションのお客様から



カルマ



のことを質問されることがあります。



悪いことをしたら、


同じように、


何か悪いことで自分に跳ね返ってくる・・・




というやつです。




わたしは、こういった質問を受けるたびに



「みなさんが考えているような



因果応報のカルマはありません」





とお答えしています。



巷で言われている



カルマ


とは、宗教的な思想です。


人間が作った戒律です。


戒律的なものは、すべて人間の


善悪への意識


から作られています。


しかしながら、宇宙の真理には、


善悪の意識(英語でconscience)


は存在しません。



陰陽はありますが、


宇宙が「これは善い事、これは悪い事」とは判断しないのです。


判断するのは、人間の感覚です。



むしろ宇宙の真理は


人間の善悪の意識も及ばないところで動いているのです。




先ほども書きましたように



カルマ(業)というのは、



悪いことをしたから、


懲罰として同じ目にあう



と思っている人が多いですけど、



本当のカルマの意味は、



”バランス”




です。



ひとつの方向に振り子が揺れたら、


もう片方に揺り戻される。



ある経験をガッツリしたら、


その反対も経験させられる



といった具合に。



カルマの解消とは、


片一方に振れたアンバランスを、


反対にバランスさせて


両方の塩梅をよくすることで


相殺する形にすることです。



だからわたしは<バランス>だと思っています。





カルマは



この日常でも知らぬ間にフツーに起こっていて、



日常でも知らぬ間にフツーに解消しています。



たとえば、



普段から「一人でなんでもできなければ!」


と無理をしている人が、


自分が病気になることで


今度は誰かを頼らなければならない現実


を経験したり、、、とか。




自分は人より仕事ができないから、


人から教わる立場でいい、と思っていた人が、


昇進して、自分が上司になることで、


教える立場を経験する、、、、とか。




これまで人に尽くして、愛を与えてきて、


「いい人」で終わっていた人が、


今度は自分のことをガッツリ愛してくれる人に出会って、


愛される経験をする、、、とか。



こういうのも、言ってしまえば「カルマ」なんです。


(いちいちそうは言いませんけども)





アンバランスをバランスする のが


カルマの解消


になるのです。


それは、意識しようがしまいが、


勝手に起こることなのです。



ちょうど、



熱ーいお湯の中に、



冷たい水を足すと



ちょうど良いお湯加減になるような感じです。



それを自分でコントロールはできません。



すべてエネルギーの仕事だからです。





そういったことで、


本来のカルマには元々懲罰的な要素は含まれないのですが、


人との関係では相互作用を起こします。



わたしたちの魂は、



経験によってでしか学べないので、



あらゆる経験も、学びの種にしようとします。



自分が人を傷つけたから



同じように人から傷つけられるのか…



ということは、その通りではありません。



傷つけた側の人間も、



実はどこかしら、傷ついているものです。



人は、人を傷つけながら、


自分の傷に気付いた時に、


その本当の痛みがわかります。



そうやって、ひとつ学びが完了します。




逆に誰かに傷つけられた人は、


相手にそれを「気づかせる」機会を与えています。


相手の気づきのために、ひとつの”役割”を終えたのです。




…そして今度は、何かの加減で事態逆転して、


自分が誰かほかの人を傷つける側になるかもしれない。


でも、その時も


また違う誰かが、


あなた中にある傷を”教えてくれる役”を演じてくれるのです。




そういったサイクルを



「あの時の罰が当たった」ととらえる人がいたり、



嫌な目に遭った側が



「お前はバチを受けろ」




というような感情を持つことがあるので



カルマ=バチ という思想になったのだと思います。





…人間は、ある意味こうやって


お互いを使って、


自分を知る



という作業を行います。



しかしながらここに、懲罰の意識はありません。


人間の感情のレベルでは


「あいつが悪い、こいつが正しい」


というのはありますが、


少なくても魂のレベルではないのです。




魂には、



宗教的戒律や、



人間が持っている善悪の思想



(どっちが善でどっちが悪)



というものがないのです。



お互いが、お互いに”役”を持っていて、



お互いの学びのために一役買っています。



それに合意して生まれてくるので、



魂では、どんな経験でも学びだとわかっているからです。




…もちろん、これは魂のレベルでの話ですので、



感情としては、嫌なことをされたら



「傷ついた 許せない!」




と感じるものです。


相手が悪い、と思ってもいいのです。


恨んでもいいのです。



でも、最終的には



人間は<相手の中に自分を見ること>を余儀なくされます。



自分が学ぶべき<魂の青写真>から逃げていると、



かならず、同じような現象を繰り返し、



どこへ行っても、


何をしていても、


同じようなことを、何度も何度も見せられるのです。





そういった意味で、カルマは”バランス”だと言えます。



何度も言いますが、懲罰とは関係ありません。



「あなたが今、悪いことを経験しているのは、



前世で悪いことをしたからだ」



などということはないのです。



これは人間的な懲罰思想であって、


宇宙の本質ではないのです。



むしろその 悪い事 と思っているものの中に、


自分で自分を理解し、受け止められるようにするのが


その出来事の意味であって、


バチではありません。


すべての意味は 学ぶこと なのです。




…長くなりましたので、


次回、シルバーバーチなどについて書きたいと思います。





みちよ