最近、未成年の女優が飲酒と20歳以上年上の既婚男性との関係疑惑を理由に、
出演していた特撮番組を急遽降板するという出来事がありました。
しかしこのニュースを見て、私は強い違和感を覚えています。
なぜ、立場の弱い未成年側ばかりが責められ、
大人側の責任が薄められてしまうのでしょうか。
そして、なぜ事務所は彼女を解雇するという
「最も弱い立場への負担」を選んだのでしょうか。
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■ 日本は昔から「恋愛に多様な形」が存在した国でした
ここで思い返したいのは、日本の恋愛文化の歴史です。
日本は長い歴史の中で、
妾(めかけ)文化、側室制度、地域共同体による子育てなど、
現代とは違う“多様な恋愛・家族のかたち”が普通に存在していました。
現代のような
「一夫一婦制こそ絶対」
という考え方は、実はここ数十年で急速に固まった価値観です。
つまり、
本来日本は恋愛や家族の多様性に寛容な文化を持っていた国なのです。
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■ 戦後の急激な制度変更で、価値観が“1つに固定”されました
戦後の民法改正で家制度が廃止され、
妾文化も戸籍から姿を消しました。
その結果、日本では
• 恋愛=結婚
• 結婚=世間の評価
• 家族=社会的信用
という“単一の恋愛モデル”が定着しました。
この「単一化された恋愛観」が、
現代の「不倫は絶対悪」「恋愛は清潔であるべき」という
強い価値観の根底にあります。
しかし、この価値観が絶対視されるあまり、
弱い立場の人への寛容さが失われてしまったのではないか
と感じています。
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■ その象徴が、今回の未成年女優の降板問題です
本来、未成年は
• 判断力
• 社会経験
• 経済的立場
• 精神的成熟度
いずれも大人に比べて弱く、
**「守られる側」「育てられる側」**です。
にもかかわらず今回は、
未成年の女優に対して厳しい視線が向けられ、
大人側の責任は曖昧になり、
事務所は最も弱い彼女を“解雇”という形で切り捨てました。
私はこれを、
弱者を育てる文化の欠如
だと感じています。
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■ 本来、責任を負うべきは「大人」と「組織」です
20歳以上の年齢差がある既婚男性は、
圧倒的に力の強い立場にいます。
また事務所は、未成年タレントを安心して働かせるために
管理・教育・保護を行う義務があります。
それにもかかわらず、
責任を未成年に押し付ける形で幕を下ろすのは、
倫理的にも構造的にも正しくありません。
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■ 日本は“弱者を叩く文化”になっていませんか?
SNSでは
「未成年でも悪い」
「プロ意識が足りない」
といった言葉が飛び交いました。
しかし本来大人が担うべき役割は、
未熟さを責めることではなく、
未熟さに寄り添い、経験を支え、育てていくことです。
弱者を叩く社会では、
人は伸びず、傷つき、可能性を閉ざしてしまいます。
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■ 海外では「未成年は絶対に守られる存在」です
欧米や北欧では、同じケースが起きた際には
• 未成年の名前を出さない
• 顔を出さない
• 中心的責任は大人側
• 事務所は未成年のケアに全力
• メディアも“守る姿勢”を取る
これが標準です。
未成年を“育てる対象”として扱う文化が根付いており、
弱者を切り捨てて終わらせることはありません。
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■ 日本社会に必要なのは「弱者を守らない社会」ではなく
「弱者を育てる文化」です
未熟さは責めるものではなく、
経験不足は笑われるものではなく、
失敗は終わりではなく成長の入口です。
今回の問題は、
未成年をどう扱う社会なのか
弱者をどう育てる文化なのか
を問い直す大きなきっかけだと感じています。
弱者を切り捨てる社会より、
弱者を支え、育て、経験を積ませていける社会のほうが、
どれだけ未来に希望があるでしょうか。
今回の未成年女優の問題は、本来は未成年本人ではなく、
大人側と所属事務所が責任を引き受ける形で解決すべきだったと考えます。
未成年は判断力も社会経験も十分でないため、
「守られる側」であり「育てられるべき側」です。
大人側が関係を早期に断つこと、事務所が保護と指導を行うこと、
制作側が一時的に撮影の調整をすることで、
彼女が降板する必要はなかったはずです。
重要なのは、未成年に負担を押し付けず、
大人と組織が弱い立場の人を支え、育てる対応をすることでした。
そのように対応していれば、撮影は最後まで続けられたと考えます。
#ゴジュウユニコーン