池ちゃんという飲み屋のマスターがいた。
ゲイだった。

古い雑居ビルの2階でスナックをやっていた。
大学生の男の子のバイトがひとり、日替わりでいた。

薄暗い店内の壁には、世界各国のお面が所狭しと飾られていた。
初めて入った時は少し驚いた。
池ちゃんは「わたし、どういうわけか『顔』が好きなのよぉ。」と言っていた。

お客さんが海外からお土産として買ってきてくれたものも多いそうだ。
インドネシアっぽいものやバリ島っぽいもの、男のお面、女のお面、仮面舞踏会っぽいもの、いろいろだった。

池ちゃんの名前は池光平助といった。
歳は私の父親くらいの年齢だったと思う。
金沢の名家の生まれだと言っていた。
姉が二人いたのだが、池ちゃんが生まれたとき初めての男の子で跡継ぎが出来たとおばあさんがそれはそれは喜んだそうだ。
屋敷の屋根から餅をまいて池ちゃんの誕生を祝ったという。

結婚もしたことがあるらしいが、その後自分のセクシャリティに気づいて離婚し、会社員もやめ、金沢を逃げるように離れ、秋田に流れつきスナックを始めたと聞いた。
それ以来金沢には一度も帰っていないと言っていた。
子供がいたかどうかは知らない。
そこまで踏み込んで聞くのは悪い気がして聞かなかった。

池ちゃんはとても痩せていた。
いつも作務衣を仕事着にしていた。
ちょっと高そうな作務衣だった。
池ちゃんはおしゃれだった。

お店が休みの日に待ち合わせて、池ちゃんと常連とで飲みに行くこともあった。
そんな時は作務衣ではなく、すてきな装いで現れた。
黒づくめに高そうな帽子をかぶり、いつもの池ちゃんとはちょっと違った。
イッセイミヤケの服が好きだった。
いとこがイッセイミヤケのデザイナーだったと言っていた。

池ちゃんは酒癖が悪かった。
自分の店で酔うまで飲むことはなかったが、外に飲みに出ると酔って人に嚙みついたり叩いたりして最後は決まって泣いた。
だから私は外で一緒に飲む時は近くに行かないようにしていた。
そして池ちゃんが荒れ始めるとそーっと帰った。

自分の店ではいつもメニューにない赤い飲み物を飲んでいた。
何を飲んでいるのか聞くと「養命酒よぉ」と答えていた。
私は本物の養命酒を見たことがないので実際そんな色なのかどうかは知らないが、本当は養命酒ではなかった。
カンパリを赤ワインで割ったものをそう呼んで、バイトに作らせていた。

池ちゃんは罪のない嘘で人をだますのが好きだった。

あるとき、聴覚障碍者の方々の飲み会の予約が入った。
池ちゃんはその日貸し切りにしてドアに鍵をかけた。
店のドアに「本日貸切」と張り紙をする代わりに小さいメモ用紙に小さい文字でこう書いた。

「本日、島倉千代子さんお忍びでご来店につき、貸切です」

そのメモを見た人は、えっ!となるに決まっている。
そしてドアに耳をつけて中の様子を伺うに違いない。
でも音は聞こえない。
だって中ではみんな手話で会話してるのだから。

その日、島倉千代子さんにひとめだけでも会いたいという問い合わせの電話が何件か入ったらしい。
もちろん池ちゃんは、島倉さんが会いたくないと言っている、とかなんとか言って全部断った。



常連の友人から、池ちゃんが危篤だと電話があったのは本当に突然だった。
大腿骨壊死の手術をしてやっと痛みなく歩けるようになったと喜んでいた矢先だったのに。
一週間くらい前に飲みに行った時は元気だったのに。
突然倒れたとのことだった。

私は病院にお見舞いに行った。
池ちゃんの意識はなかった。
管につながれて、荒い呼吸で昏睡状態だった。
それでも耳だけは最後まで聞こえていると聞いたことがあったので、必死に語りかけた。

池ちゃんの好きないちご、持ってきたよ。
みんな心配してたよ。
せっかく歩けるようになったんだから、こんなとこで寝てる場合じゃないよ。

なんか現実じゃないみたいで、ふわふわした。
また来るねと言って病室をあとにした。
それが池ちゃんと会った最後になった。



病室には池ちゃんのお兄さんと名乗る人がいた。
お兄さんがいると聞いたことはなかった。
ベッドの上に池ちゃんの名前が書かれていた。

「池田光男」

お兄さんと少し話をすることができた。
池ちゃんの実家は秋田市内だということが分かった。
盆正月は顔を出していたそうだ。



池ちゃんが亡くなってからもう15年以上経つ。
それでも未だに池ちゃんに会いたいなと、ふと思い出すことがある。
欠点も多いひとだった。
それでもみんな池ちゃんのことが好きだった。

嘘ばかりついていた池ちゃん。
結局のところ私たちは、本当のことは何ひとつ聞かされていなかったのかもしれない。
きっと池ちゃんは「池光平助」というお面をかぶっていたのだろう。
「池田光男」という顔を隠すために。
お酒を飲んで泣いていたあの人は、池田光男の方の池ちゃんだったのかもしれない。