僕の幼少期の頃を
綴ったブログをもう少し…

僕は幼稚園も保育園も
行っていないので
4~5歳の頃から好き勝手に
そこらで遊びまくっていた

僕の育った町には
あちこちに河が流れて
漁船も少し停泊してたり…

なんと!船が家で
船に住んでるご家族もいたり

河が身近にいつもあった


また
臨港線の線路があり
河を渡る赤い鉄橋もあって
そこをディーゼル機関車が
貨物を積んで走っていた


臨港線の前には
スクラップ置き場になった
大きく広い場所があり

壊れた車や廃車になったバスや
バイクにテレビなどの家電まで
捨てられていた


そこは
僕達子供にとっては
遊園地に匹敵する遊び場だ

スクラップ置き場はいいけど
線路には近づくなと言われてた



母ちゃんに怒られる!

「アンタ!
線路に行ったらアカン!って
言うてんのにまた行ったなー💢」

僕は嘘を言ってしまう…

「母ちゃん
行ってないって…」

「ウソついたら
アカンやろ💢
耳に線路の錆びがついてる❗」

バレバレだ


母ちゃんに
お尻めくられ
こっぴどく叩かれた


僕達は臨港線の
線路が大好きだった

遥か遠くに
見えるか見えないかの

機関車の車輪の音が
線路のレールに耳を当てれば
小さく小さく聞こえる

カタンカタン…

その音を聞くのが
とても楽しかった♪

結構な距離に
近づくまでその音を
聴いていた

通りすぎた直後の
線路に耳を当てると
耳が痛いくらいに
ガタンゴトン❗って響いた

そんな僕達は
何度かそんな
機関車を止めてしまい

こっぴどく叱られた

今の時代に
こんな話をすると
なんて迷惑な子供達だ❗と
非難されるけど…

そんな時代と言えば
そんな時代だった



自分の子供たちが
そんなことしてたら
めっちゃ怒るけどね



臨港線前の
スクラップ置き場も
僕達子供の遊び場所

壊れたバスの
運転席に座り
ハンドルを握って
見えない町を走る夢を見る

壊れたバイクにまたがり
未来のサーキットを走る


雨の日には
野良猫を抱いて
壊れたバスの中で遊んだ

小さなユンボの重機も
動かないけど乗り込み遊んだ

バスや車の窓ガラスは
割れていたけど…
僕達の秘密基地になった

 

「食料を確保」って言って
駄菓子屋さんでひとつ1円の
ミカンの形の「あめちゃん」を
10個買ってみんなで分けあった


他の小学生や中学生も
みんなそこで遊んだ

僕が小学4年くらいに
スクラップが
撤去されるまでは
僕達の大切な遊び場だった
まさにパラダイスだった✨




僕達の子供の頃の
遊びと言えば…

ビー玉やベッタン(めんこ)
コマ回しに銀玉鉄砲に凧上げ

特にコマ回しは
めっちゃ得意だった

今でもビュン❗と投げ戻して
手に乗せて回せる

コマの綱渡りも出来る❗と思う


娘達や息子が小さい時に
コマの回し方とか教えたけど
やっぱり時代が違う

子供達のコマは
僕達のようにヒモを
巻いて回すなんてしない

ちゃんと誰でも回す
ことが出来るようになってる


ちゃんと回せるように
頑張ることが大切なのに…

出来ないことが
出来るように頑張ることが
大切なのに…と思うけど…

時代は便利さに
価値を求め続ける


子供達の
自由な想像力や
思いもつかない創造力は
きっと不自由な環境の方が
その力を養える気がするのは

たぶん僕が時代遅れの
文句言いの頑固な
じいさんになったからだな



でも…
僕の子供の頃は
貧しかったけど

めっちゃ楽しい思い出も
たくさんあるな


ビー玉の技術を競った


僕は今でもビー玉を弾けるし
遊び方もちゃんと覚えてる

ベッタンも…

ベッタンに強くなる為に
強いベッタンを作った

油を染み込ませて
砂鉄をまぶしたり

そのベッタンを
パサッ❗と投げると

相手のベッタンが
バサバサとひっくり返った
そんな
無敵のベッタンを作った✨


ちょっと前の
子供達の時代なら
強いポケモンも作る❗みたいな
感覚なのかな…


その昔の僕達も
みんなが色んなこと
考えて遊んだな


コマなら
誰よりも長く回っているよう

芯の先を丸く削る
コンクリートの壁に
ガリガリと擦りつける

その後に土の道で
時間をかけて丸く丸く
コマの芯の先を
ツルツルにする

ツルツルになると
摩擦が少なく
長く回るコマの芯になる

良い芯を「モー」と言った
悪い芯を「ガー」と言った

「俺のコマな!
めっちゃモーになったわぁ💕」

色んなことを考え
色んな工夫をして
遊びの中に学びがあった

何にもなくても
土の場所がある空き地があれば

「丸を書いての陣地取り」で
みんなで遊べた

石ころがあれば遊べた

「案山子けんぱ」に
「海の子けんぱ」
地方によって呼び方は
違うんだろうけど…

色んなことで遊べた

「鬼ごっこ」に「缶蹴り」


♪いろはーにぃほーへと
ちーりーぬ!「盗人」❗
るーをわかよ「探偵」❗

逃げる盗人!追う探偵
みたいな遊びもあった

「どうま」って言う
荒っぽい遊びもあったな
「馬乗り」って言うのかな?

男子も女子も関係なく遊んだ


こんな遊び唄があった

♪げーたかーくし
しゅうれんぼう♪
はーしのしーたのーねずみが
草履を咥えてチュッチュクチュ♪
チュッチュクチュまんじゅは誰が食た
誰も食わないワシが食うた
表の看板三味線屋♪
裏から回って三軒めー1,2,3

履いてる靴や草履を
隠して探す
「下駄かくし」って遊び唄

今もちゃんと覚えてたりする


全国的には
「だるまさんがころんだ」と言うが
僕達の地元は
「ぼんさんがへぇこいた」と言う

「ぼんさんがへぇこいたしよか!」
そんなことを言ってた

「ぼんさんがへぇこいた」

ちゃんと10文字

10数えるのが面倒なとき
例えばかくれんぼや缶けりの
時など
「ぼんさんがへぇこいた5回!」

つまりは50まで数える間に
逃げたり隠れたりするって訳だ



「じゃんけん」も僕達地元じゃ
「いんじゃん」と言った

「いんじゃん ほい!」が

いつの間にか…

「いーんじゃんでーほーい!」になった

ちゃんとメロディがある(笑)

そのうち

「いーんじゃーん
どってんばってん♪
ドーレミソッきゅーの
ワンタンめん!」になった(笑)

ワンタンめん!のみそらーめん!の
しおらーめん!」と増えていくww


今は…
「最初はグー!
じゃんけんほい!」が定番だ✨



小学3年くらいまで
「土の道」が普通にあって
アスファルトに舗装された道は
町中に行かないとない時代

雨が降ると
あちこちに水たまり

土の道はでこぼこ道

わざわざ水たまりに
入ってじゃぶじゃぶする



そのうち
近所の道が
アスファルトに舗装されると
その道も僕達の遊び場所になる

「でっかいキャンバス✨」だ

「ろう石」と言う白い石♪
チョークのように白く書ける石
駄菓子屋さんに売っている


舗装された道に
僕達子供が
これでもか!と絵を描く

道に描いた
大きな電車の絵

子供達が道路に横たわる!

「出発進行❗」

子供達は電車に乗った気になる

スポーツカーや飛行機
ロケットまで描きまくる❗

見えない宇宙を
道路に寝そべり
子供達は旅をする🎵

道路の前に住む大人達も

「もうー💦アンタら
こんなに絵を描いて❗」と

言いつつも笑ってる

その落書きのような絵の中に
子供達の夢があり
子供達の笑顔があることを

大人達はわかっていた

近所の大人達も
ちょっとした父ちゃん母ちゃん
見守ってもらってたと思う

古き良き
昭和の時代



僕達は
遊ぶ時は
みんなで遊んだ


多い時にはそれこそ
小学校の高学年から
下は4~5才の子供たちまで
男女関係なく遊んだ


小さな子達には
「ごまめ」と言う
ルールがあった✨

一緒に遊ぶけど
一緒のことは
出来ない子達には

「何をしてもいい」って
ことにする特別ルール✨

「ほんなら
◯◯ちゃんはごまめな!」

出来ないからと言って
仲間外れにはしない

ちゃんと一緒に遊ぶ

ごまめの子供達も
楽しく一緒に遊ぶ

そんな素敵な子供達のルール✨

出来ないから
「お前はごまめな!」じゃない

出来るようになるまで
「ごまめ」として一緒に遊ぼ✨


実際に僕も
ごまめの時代があったはず…

僕の妹も
何度も「ごまめ」で
一緒に遊んだ


ちゃんと受け継がれていく
ごまめのルール✨

子供達がみんな
一緒に遊ぶための
素敵なルールだ✨

古き良き
昭和の時代

今もあるのかなぁ…


まぁ
僕自身は今も使うww

56歳になった今でもww


なんか分からない仕事に
加わって手伝う時などは

「俺はごまめやからな!」

実は昨日も
仕事で言うた❗(笑)




「昔は良かった🍀」

そんな風に思い出す

だからと言って
今の時代には今の良さがある

そして僕も
振り返ってばかりで
前に進まない人生を生きる
つまりは微塵もない

今の時代の
明日に向かう

昔の大事な思い出や
学んだ大切なことを胸に
今の時代を明日に向かって
全力で駆け抜ける❗

明日の未来の夢を見る

明日に向かって
走り続ける


娘達からは
「もういい歳やし
もっと落ち着いて❗」と
言われそうだけど(笑)

息子からは
「もうー
恥ずかしいことせんといて」と
実際に何度も言われてるけどww


「いつかの少年」は
おじいちゃんになっても
叶えたい夢がある✨





今日は
僕の子供の頃のことを
綴りました🍀


長い長い僕達家族のお話し
まだまだまだまだ続きます

読んで頂きありがとうございます😊🍀