教育研究所の所長のハラスメントの話、

教育委員会の統括のハラスメントについての話、

学校の管理職が行うハラスメントについての話、



私が体験したこと、体験していること、

包み隠さず全てお話しさせてください。



もう耐えられない。



この区の教育関係者に対して『心が無いみたい』とたくさんの方が感じるその理由は、

皆自分のことしか考えていないから。

そして私のこともそうだけど、

子どもたちや保護者をゴミクズのように扱っているから。

面倒だと思っているのでしょう。



(全員とは言いません。

もちろんなかには一生懸命頑張っている方もいると思います。)



その区独自の教育を〜とか掲げているのだけど、

『バカの一つ覚え』だなと改めて思う。

何ひとつとして無意味だと私は思います。

なぜなら上に立つ者が腐っているし、

自分の発言や行動に一切責任を持っていないから。



私の知る大手企業、民間企業、

ベンチャー企業、スタートアップの知人を思い浮かべたとき、

やはりそれなりに上に立つ者は "責任を持ち考え行動している" ということ。



なぜなら常に想像性だったり危機感を持っていなければ、

会社が潰れてしまうかもしれないし、

社員のマネジメントをしなければ人が育たない、

もちろん会社の成長や新しいものを作っていけるように、

それぞれが色んなことを考えている。



今、私が所属している教育研究所の所長を思い浮かべたとき、

『どうしてこの人、こんなに愚かなんだろう』、

『どうして覚悟や危機感が無いのだろう』、

そのようなことを考えたとき、答えが分かりました。



『タダで所長になったから』だろうな〜って。



一切身銭切らずに所長やれて、

何も考えず、

お金は全て税金、

都合の悪いことは隠蔽、

自分にとって都合の良いルールを作って周囲をコントロール、

それに従えない人間は、自ら卑怯な手を使って蹴落とす。

表面では良い人演じて、

裏では汚いことやって、

バレなければそれで良い。



そして、頭を使って、

本当に教育の世界を良くしようだなんてことは一切思ってないの。



本当に『裸の王様』だなと思います。



もし違うなら、

このようになっていないと思います。

こんな狂った教育がまかり通ってる区を見たのは初めてです。



そして、私が自分の体験や今の現状を記事にしようと思ったのは、

自分がもう限界であることはもちろんですが、

真実を皆様に知ってほしい、

そう思ったからです。




さて、私が去年の12月19日に4対一面談を受けた際、

所長のある一言が引っ掛かっていました。


『我々は区の税金からお給料を貰っている。

区民の信頼を失うことはあってはならない』って言ったんだよ。



その通りだけど、私とは解釈が違うようです。



ちなみに「どの口が言ってんの!?」と思った。



つまり私は、自分が見てきたことや体験したこと、

これらは事実です。



『このような真実があった』ってのは事実であって、

もし、これらを発信しなかったらそれこそ隠蔽だし、

真実に嘘というフタをして何も言わないのであれば、

それこそ区民の皆さまの信頼を裏切ることだと思います。



だから私は本当のことを伝えたいし、

子どもたちや保護者だって『本当のことを知りたい』って真剣に向き合ってくれた。



だから私は本当のことを発信したい。

裏もちゃんととってある。



私が想像するに、

この区に不登校になってしまった子が多いのは当たり前だと思います。

なぜなら教育に関わる大人が真剣に子どもたちと向き合わないし、

物のように扱っているし、

平気で傷つけているから。



もちろん家庭環境や自身が置かれた環境もあると思う。

でもSOSを出していた子どもたち、絶対いたはず。



そういう声を無視したり、見て見ぬふりをしていた結果が今の現状なんだと思います。



そんななかでこの区独自の教育〜だとか、

皮肉な話だなって思うのです。



色んな理想や信念を持ってスクールソーシャルワーカーを始めたのに、

教育に関わる人間が当たり前のように足を引っ張ったり、

教育に関わる人間が当たり前のように人を傷つけたり、

挙げ句、教育研究所の所長、

教育委員会統括、

ハラスメントに加担した小学校の管理職、



このような人間に囲まれたなかで、

もうどうしたらいいのか分からなくて、私。

私はちゃんと子どもたちと向き合いたいだけ。

でも、うんざりするほど足を引っ張られる。




助けなきゃいけない子どもたちや、

悲しい想いをしていらっしゃる保護者の方、

私はちゃんと守りたい。



ただ、苦しくなってきちゃって。

誰も信用できなくなっちゃって。




①同じスクールソーシャルワーカーの同僚、

②信頼していたはずの学校の先生、


③小学校の管理職、

④教育研究所の所長、

⑤教育委員会の統括、



③〜⑤の人間は、

信じられないほど酷いハラスメントをしてきて、

私は人間不信になり、うつ病にもなり、

こんなの今まで体験したことなかったのだけど、

ストレス性記憶障害や五感を失くす症状に苛まれることになりました。



五感を失くす症状というのは、

常に頭痛や不安感やストレスがある状態かつ、

常に目が重いし眩しい、右耳が聞こえない、

熱は出るしパニックにはなるし、

ご飯の味がしなくなるし、

ちゃんとした臭いが一切分からなくなる等です。



酷かったのは香りが全て腐ったような臭いで、

部屋から異臭を感じる物は全て捨てた。

本当に生きた心地がしなかった。

本当につらかった。

結論、原因は全部ストレス絡みだった。



そして一時期、記憶を失ったロボットみたいにもなった。

知ってるはずなのに、どうしたらいいのか分からない。



言葉さえ分からなくなっちゃって、

限界を迎えたときは保健室で泣き崩れました。



そんな傷み、分からないでしょう?



そいつらに何の期待もしていないけど。




①、②が信用できなくなってしまったのは、

色々な要因が重なっているからなのかな、、と思ったりしています。

誤解がないように言っておくけど、

悪い人ではないし、

本当に私のことを心配して言ってくれたんだと思っています。



良くしてもらっているはずなのに同僚を信じられなくなってしまった理由は、

ある一言があったから。



先日、


「自分の考えを提案してみたら?

お互い説明不足感があって〜」と。



それに対して私は、

「私から向き合うのって違うと思うのよ。

だって嫌がらせされてる側だから」と。



なんだろ、ハラスメントをしてきた側、

つまり嫌がらせを仕掛けてきたのは教育研究所の所長なのよ。

イジメの加害者に被害者である私から出向く理由ってなんなんだろうって漠然と思って。

それに、話の通じる相手なり、こんなハラスメント自体間違ったことだと認識している人間なら、

そもそもこんなことにはなっていないと思うわけですよ。





②の先生が信用できなくなってしまった理由は、

この件についても後でしっかり記事にしていきますが、

まぁ、校長と話をした経緯があるのですよ。



校長が私に言った言葉(一部抜粋)

とりあえず学校に来る際は "副校長に話をしてくれ" 、

もし副校長がいなかったら伝言を残して

そのように言ったのです。



私にしてみれば、

私を学校に入れないように、校門前で帰れ!と追い返した人間、

つまりハラスメントに加担した人なんです。




そのことも校長には伝えたし、

何とか突破口を考えて、

改めて学校へ伺ったときだって、

副校長は私を無視して学校に入れてくれなかった。

たまたま学童の先生が外にいて、私をどうぞって門を開けてくれたんです。



そのことも校長に伝えたけど、

「そんなことある?」ってゲラゲラ私の前で笑ってた。



校長と話すだけストレスになるだけだなって思ったし、

改めて学校へ来る際の連絡方法についても頑なに曲げなかったから、

もう疲れたって、精神的にもなっていたし、

まぁ、それで子どもたちのもとへ行けるなら「分かりました」と、妥協するしかなかった。



でも、いくらその場で約束をしたとは言え、

もう、ストレスなんだよね。

たかが学校に電話一本連絡するだけでも、

私にとっては物凄いストレスだし、

恐怖でもあるし、過呼吸みたいになったりしてさ。

すんごい頭が痛くなったりして。



たかがそれだけとは言え、とてつもない痛みを伴うのです。



そして、ハラスメントに加担した人間に話を通してだとか、

私にはなかなか理解できない。



そんななかで信頼してる先生に先日、


「校長と約束した以上、連絡した方が追求されないだろうし、

電話についてはお任せします」的なことを言われちゃったもんだから、

なんだろう、「所詮そんなもんだよね」って思っちゃったんだよね。



ここまでの経緯が実際あって、

痛みも伴うなかで、

言われた言葉に対して苦しくなったのです。



分かんないよね、私の痛みなんて」と。



そう思ったら、全てが絶望に感じちゃったんです。

そして、色んな事が分からなくなっちゃった。

私は苦痛を味わうために行動しているみたいって思っちゃって。

私って何をやっているのだろうって。



人は「分かったと思った瞬間、"分かったという沼" に落ちる」



つまり「分かった」と言ってるけど、

それはただの「分かったという沼に落ちただけ」であって、

本当は何も分かっていないの。



人の痛みなんて、

同じような経験をした人間じゃないと分からない。



だから、『分かった』という言葉は無責任なのかもしれない。



そう思った瞬間、

信頼していたけど、もしかしたら信頼してはいけない人なのかなと思ったのです。



そんなことを考えていたら、

①、②に対して私は、

『所詮そんなもんだよね』

『私の痛みなんて分からないよね』と、悲観的になった。

新たに不信感を持ってしまったり。



金曜日、仕事帰りに精神科へ行ってカウンセリングを受けてきたんだけど、

『全てがつらい、絶望的』な感情にやられてしまい病院帰りに道端で泣き崩れてしまった。



『私の気持ちなんて、私の痛みなんて誰も分からない』



そう思ったら虚無感でいっぱいになった。



そして、

『こんなつらい想いをしている私って一体なんなのか』

自分が全く分からなくなってしまいました。



今私は、誰も信じられないのだと。



自分が関わっている(信用を置いていた人)に対して、

なんというか、人間の本質を見たような、

そんな気持ちを私は今思っています。





私の痛みを和らげてくれる曲。


この曲を聴くと安心する悲しい


胸に詰まる気持ちが、少し鎮静されるような。




まだこちらの記事を読まれていない方、
ぜひ読んでやってください。