今日はいつにもまして真剣な記事を書きたいと思います。
本当は音楽のことを書きたかったんだけど、
今は違うのよ、私の本音を書かないと後悔する。
さて、今芸能界含め色々な悪事が世間に広まろうとしています。
中々声に出せなかった方や、苦しんでいたけど勇気を持って声に出した方、
様々なかたちで自分が体験したことを世の中に発信し始めています。
私はそういう方々に対して、
どれだけ苦しんだだろう、どれだけの覚悟をしただろうと改めて思っています。
苦痛を強いられたのに「どうか頑張って!」というのもなんか違うのだけど、
でも、見守っている人や、どうか自分を信じて負けないで!
そのように思う人もたくさんいると思います。
私はその一人です。
どうか負けないで!
真実は絶対に一つだから。
世間のちょっとした変化に動かされている自分も居つつ、
ニューヨークで活動されているジャーナリスト·津山恵子さん、
津山さんは元々経済通信の記者の方で、
以前津山さんがラジオ出演された際にお話を聞かせていただきました。
そして今回久々にイギリス人の友人と連絡をとりまして、
この記事を書こうと思ったのです。
色々リンクしたこともあり、まさに今書くべきなんだと。
長文になると思いますが、シクヨロ!
以前にも触れていますが、
今現在私はイジメにあっています。
パワハラという言葉では片付きません。
私にしてみれば犯罪です。
どういうことかと簡単に説明すると、
私は音楽のほかに、教育に関わる活動をしています。
スクールソーシャルワーカー(SSW)なのですが、
私の場合は心理学に特化したタイプでもあるので、
色々なかたちで行動できるスクールカウンセラー(SC)と考えていただければと思います。
去年の4月から新たな区(東京都内)でスタートし、
最初は、今まで小学校で特別支援をしていたけど、
自分が関われる範囲の小ささに限界を感じ、
「だからSSWをやる」と新しい覚悟を持っていました。
でも今、絶望しか感じていません。
自分の理想も信念も変わってはいないがでも、、
私はイジメを今リアルタイムに体験していて、
メンタルも体調もアンバランスになって、また再度鬱の症状が出始めています。
去年の12月19日(金)、4対一面談を受けました。
この面談の相手は教育研究所の所長、そしてほか2人、
教育委員会の統括の者、(計4人)
これよりも前から不信感や絶望感から鬱状態になっていました。
様々な違和感や嫌がらせを我慢していたら、
自分がどんどん追い込まれていくようになったのです。
その4対一面談、そもそも相手が4人であること自体おかしな事だとは思っていたけど、
でも私は別に間違ったことなんて何もしていないし、
覚悟を決めて、自分の素直な気持ちや言い分は伝えようと思いました。
先程書いたように、
その面談以前からおかしなことが多々あり、
自分がどんどん壊れていくことに限界を感じていました。
自分の目の前で、理解できないルールが当たり前のようにあったり、
一生懸命な人たちが傷付く姿をたくさん見たり、
日常的に嫌がらせがあるのにそういうことや、人の足を引っ張ることを当たり前みたいな環境で、
「子どものため」という人間が、結局自分の立場しか考えていない愚か者だったり。
『異質、異常』という言葉以外何も浮かんできません。
「全ての出来事には意味がある」ように、
今回私が覚悟を決めて、4対一面談で自分の声を伝えたのはそういうことなんです。
そもそも何もなかったら、ちゃんと機能していたり、
上司がしっかりマネジメントできる体制、
でもまず第一に、「人を大切にする人たち」で構成されていれば、
私は鬱にもならなかったし、まともに動けていたのだろうと思います。
今まで生きてきてストレス性記憶障害になったのもはじめてです。
話が少し逸れましたが、
その4対一面談では、私はブチギレたし言いたいことは言ったし、
でも心身ともに限界だったので、つらくて泣き崩れてしまったのです。
そもそもその面談自体、どう考えても「私に文句を言う場」を彼らは作ったのです。
視野を広げて全体を見て考えれば筋が通ります。
でも彼らは予想しなかったのでしょう。
その場を私に180度ひっくり返される場になると。
おそらく私ではなく他の人が体験したら、
「すみません、申し訳ありません、気をつけます」と丸め込まれたと思います。
でも私は覚悟を決めていたから。
いつも伺わせていただいている小学校の養護の先生、特別支援の先生に相談がてら伝えたことがある。
「所長含めた面談を受けることになりました。
だから私の進退に関わることを覚悟しているし、
クビになるかもしれない。
彼らのおかしなやり方に背いているから。
もしかしたらもう先生とも、大好きな子どもたちにも会えなくなるかもしれない。
でも、自分の素直な気持ちを伝えるべきだと思っている。
そして最近、自分の人生について考えるようになった。
私はいつか死ぬ。
それは明日かもしれないし明後日かもしれない。
2年後かもしれないし3年後かもしれない。
自分がいつか死ぬとき、
私はこれで良かった、これが正しかった、
この場所にいることが正しかったと誇れるのだろうか?
一瞬で死なんて迎えるのに、
長い人生のなかで、
本当に今の自分のやっていることや選択が正しいと、
私はそう思えるのだろうか」
そんな風に考えてたんです、と。
そのくらい物事を考え、覚悟をしていたのです。
だから、私が面談を受けるというのは並大抵の気持ちではない覚悟がありました。
私がいつも子どもたちと向き合うくらい強い覚悟で4対一面談に行ったのです。
フタを開ければ結果「私に文句を言う場」を彼らは作っていたので唖然としました。
あんなに身震いしながら泣き崩れたのも始めてです。
面談後、魂が抜けたように自分の顔が青ざめたことも、
心を踏み潰されたこともよく覚えています。
その後(次の出勤日)、12月22日(火)
いつも通り小学校へ向かいました。
いつものようにインターホンを押したら事務の先生の第一声、
「副校長が校門に向かいますのでそこでお待ち下さい」と。
数分後校門で待つ私のもとへ女性の副校長が来ました。
そして帰れ!、もう来ないで!と追い返されたのです。
そのとき私の直感がはたらき、
「あ〜、おそらく教育研究所の所長が副校長に散々なことを言い、
アイツが来たら追い返せ」と言ったのだろうと思いました。
案の定それが事実でした。
つまり『教育研究所の所長』が、
自分のプライドを傷つけられた腹いせに、
「ミチさんが来たら学校に入れるな」というお達しを小学校に出したのです。
そして指示に従い副校長は私を追い返した。
つまり、この副校長も『イジメに加担した』のです。
小学校という教育に関わる場の人間であるのに。
追い返されたあと、私はどうしたらいいのか分からなくなり、
とりあえず小学校に電話をしたら、養護の先生&特支の先生が校門のところに走って来てくれました。
門を間に挟み、「一体どうなってるの!?」と言われ、
何があったのか、
そして行われた面談のことなどを伝え、
その日は学校を後にして自分に出来ることを考えていました。
その後、う〜んと迷いながら、
『あっ!』と思い、
不登校の子が通う学校にお世話になっている先生がいらっしゃるので、
そこで先生に相談をしたのです。
たくさん話を聞いていただいて、ありがたかったなと今でも思っています。
そして先生に話を聞いてもらったあと、
偶然にもイジメられている男子中学生を目撃してしまったのです。
二人組が道を歩いているのだけど、
片方の子が、もう片方の男の子に荷物を持たせ首を腕でグッと絡みながら引きずり歩いている現場でした。
明らかに荷物を持たされ首を腕で絡められている側の子は、
自分の意思で歩いているようには見えませんでした。
明らかに強く引きずられている後ろ姿だったのです。
その二人組を見たとき、
私は心をえぐられたような気持ちになり、立ち止まってしまいました。
『なんとかしなきゃ、声をかけなきゃ』そう考えている間に二人組は分かれ道で別々になったのです。
逃げるようにイジメられている子は走り去りました。
『彼に声をかけなきゃ!』と思い、
走って彼の下へ行ったときには、もう姿はありませんでした。
その二人組を道端で見たとき、
明らかにおかしかったのに、通り過ぎる大人たちは足を止めることもなければ、
何もないように皆通り過ぎていった。
そのとき、学校も同じだなって思った。
頭の中に子どもたちが浮かんできた。
『きっと子どもたちがイジメられても、
周囲の大人も学校の人間も、誰も子どもたちのことを守らないだろう』そう思いました。
少なくとも、私のようなタイプの人間は学校にはあまり存在しないかもしれません。
皆保身に走るし、上司に逆らう覚悟もないし、
何よりきっと面倒なのでしょう。
以前、養護の先生に相談含め私の気持ちを伝えたことがあります。
『私は逆らう覚悟もない人間が学校にいること自体無責任だと思うし図々しいと思う。
もちろんそれぞれが私と同じ価値観でないことも分かるし、
先生には先生の考えや、状況や生活がある、そういうことも分かる。
でも、間違っていることやおかしいことが目の前にあるのに、
子どもたちを守ったりしなきゃいけない立場であるのに、
上司に逆らう覚悟がないというのは、
それは結局見て見ぬふりなんじゃないですか。
彼らを見捨てるということなんじゃないですか。
結局陰で文句を言ったところで何が変わると言うのか。
本当にそういう人たちに、子どもたちに寄り添ったり、
救ったりすることができるのでしょうか。
私には理解できないのです』と。
こう思う私は教育研究所の所長や人間にイジメられているけど、
負けちゃいけない、ここで諦めたら子どもたちを見捨てることになる。
そう思ったのです。
酷いイジメが始まり、
挙げ句大人になってまたイジメを体験し、
学校を追い返された日にイジメの現場を目撃するなんて意味があることなのだろうと思った。
まだイジメは続いています。
何をもって解決というのかも分からない。
でも私はメンタルも体調もおかしくなっても負けたくない。
なんとか突破口を考え行動しています。
そこまでまだ、小学校のたくさんの子どもたちに事実や経緯を伝えきれていませんが、
『私は自分が今大人たちにイジメられている』と、
子どもたちに全て伝えようと思いました。
教育研究所の所長、教育委員会の統括、
小学校の副校長らにされていること全てを包み隠さず、
声を大にして伝えようと思いました。
なぜなら、自分が今イジメられている体験が子どもたちに役立つと思ったからです。
もちろん、なんとか子どもたちに会えたとき、
彼らに聞きました。
「一体今何が起きているのか本当のことを知りたい?」と。
そしたら、「知りたい」と。
真剣な顔で、「何ができるか分からないけど教えてほしい」と。
そう言ってくれました。
だから、迷うことなく真実を話す覚悟ができた。
大人とか子どもとか関係ない。
ひとりの人間として向き合うべきだと。
自分の素直な気持ちや弱さを見せたって良いのだと、
私はそう思っています。
子どもたちを想ったとき、
彼らはイジメにあっても、
『イジメられている自分は恥、恥ずかしいこと』そんな風に変換するだろうと。
きっと声にすることができないだろうと。
だから不登校になったりする子もいるのだろうと。
でもそんなのは間違ってる。
どう考えても、どんな理由があっても加害者が悪いのです。
だから大人の私がお手本になろうと思った。
子どもたちにお手本が必要だとも思った。
イジメられたとき、
『堂々と私は今イジメられてる』と声にしなさいと。
そんな自分を恥じる必要なんてないと。
イジメの加害者と被害者が目の前に居て、
イジメを受けてると声にする被害者って悪者なの?
本当に悪いのは加害者でしょ?と。
イジメをしている人間が何もなかったような顔をして学校に来て、
イジメられている人間が傷ついて、誰にも守ってもらえず不登校になったりするのっておかしいことじゃない?
本来逆じゃない?
正しいのは、イジメをした人間が学校に来れなくなって、
イジメられた子が守られて、安心して学校に来られるようになる環境が正しいことなんだと。
大人もそう、
イジメ(パワハラ)した加害者が会社を失い、
被害者が会社に守られ、安心して仕事ができる環境になるのが正しいことなんじゃないの?
私が今イジメを体験してあなたたちに伝えたいことは、
『人間は弱いものをイジメることに喜びを見出す動物です。
大事なことは、自分が将来イジメにあったときに、
耐える力や解決する方法を身につけることです。
そして、絶対にイジメになんか負けないという強い気持ちをもつことです。
イジメにあったとき、そんな自分は恥だとか思う必要は一切ない。
だから、ちゃんと声にしなさい。
私は今イジメを受けていると。』
『この学校もそうだし、
あなたたちが少しずつ大人になる過程の中で、
学校の先生はきっと誰も助けてくれない。
きっと曖昧にして、見て見ぬふりをするだろう。
だから私は伝えておきたいの。
将来イジメにあったとき、
堂々と声にしなさい。
恥ずべきことは何もない。
恥ずべき人間は加害者です。』
そのようなことを数人の5,6年生に伝えました。
いずれは学校の子どもたち全員に伝えたいことです。
話は最初に戻りますが、
ジャーナリストの津山さんもそうだし、イギリスの友人も同じことを言っていたけど、
「イジメではなく犯罪だ」と。
大人であろうと子供であろうと犯罪だし、強く罰せられるべきだと。
イギリスの友人に関しては、
「ミチの周囲の人間は何してるの?
ミチは守られるべき存在でしょ?
もし守られてないのなら、教育研究所、教育委員会、学校、同じSSWの人間は何をしているんだ?
罪を犯している所長たちをそのままにしているの?
そうなら、その人たちも同罪だ。」
そのように言ってくれました。
イギリスにいた私からすれば的を得た発言だなと、改めて思いました。
イギリスでは、イジメやハラスメントを行う人間は病んでいる人間だと認識され、
強制的に隔離入院になり、セラピーが必要だという判断がくだされ治療を受けるのです。
でも日本では逆。
本当におかしな国だなと再認識しています。
私ごとになりますが、
かなりの長文、そして話が上手く伝わっていない点もあるだろうと思います。
そんななか、ここまで読んでくださったそこのアナタさま、
本当にありがとうございます。
少しでも私の気持ちや内容、
今の状況が伝わったらありがたく思います。
これら私の価値観になってしまいますが、
少しでも私の体験がつらい思いをしている子どもたちや、
今を生きる大人たちに届いたら、
少しでも希望になったらと思っています。
2024年2月4日
Michi