私が受けた教育は、当時昭和初期

ごろから当たり前とされた教育

やり方だったように思う

 

子供よりも大人中心・大人優先

子供には家事・手伝いをさせる

基本まったく褒めない

やさしい声かけはない

おつかいのために遠くまで行かせる

父親は威厳をもって 家長として

どっしりかまえて家事はやらない

父親は子供と遊ぶことはなく 

ほぼ上から指図する 口答えは

許さない

母親は父親をたてて、だまって

家事育児をこなす(ここはお嬢様

気質の母はだいぶ違っていたみたい)

 

父親・母親双方に私は褒めらた

ことがあまりない 家事をしても

お手伝いしても 感謝されない

逆に、やり方が悪いと小言が

返ってくる それもキツイ言葉で

 

子供は親のことを待つのがあたり

まえ 母親のいつ終わるかわから

ない買い物・お化粧・旅行や

イベント等の準備に黙って付き合う

お陰で、数時間待つこと、耐える

ことに相当の耐性ができた

 

家事の手伝いは10歳頃からやらされ

10代後半には主婦並みにこなせる

ようになる お陰で物事の手順、

手際を常に考えてこなす癖がつき

早く作業ができるようになる

 

 

子供のテレビ・映画を見る時間は

夕飯後の30分ぐらい と土日の

限られた番組のみ 夕飯後のテレビ

は皿洗いのため ほぼあまり見れて

いない私 お陰で世俗的な余計な

考え、価値基準などの洗と脳から

自然と守られた

 

余分なお小遣いが与えられなかった

マンガ・雑誌を買うことができず…

代わり図書館の本を毎週末に5冊、

夏休みには200冊ほど読み漁った

 

親に頼ることができなかった分、

地域の人にお願いするしかなかっ

た小学生時代  人とコミュニケー

ションが上手くなり、自然と自立

の方向へと導かれる  

 

小学生時代の塾では試験場が毎回

変更されるため、母から地図のみを

渡され何も指示がないまま送りだ

される  お陰で地図の読み方が

男性並みに上手くなり、知らない

場所へ行くことに恐れがなくなる

 

親からの戒めの言葉、小さいころに

心を傷つける言葉が 自分の心を

どのように守れば良いのか、心の

持ちよう、持って行き方をおのずと

学ばせてくれた

 

親のことをひどいと恨めしく思って

いたことのほとんどが自分を最も

成長させてくれていたこと

に気が付いた

 

子供にやさしくするということより

厳しくしつけるという方を選択する

方がはるかに余計な作業と技術を

有する

 

それをあえて挑むのは 本当に愛と

忍耐がないと出来ない 親になって

みて はじめてその難しさがわかった

 

そして戦後 食事から生活様式まで

何から何まで米国流を取りれてきた

日本 なのに教育に関しては米国流を

取り入れなかった

 

アメリカでは子供を自立させるよう

厳しく育てる  18歳になると

一人暮らしするよう促す 家の

手伝いも子供のころからさせる

のが必須

 

欧米の富裕層の家庭では、あえて

子供を中学・高校のときから

親元から離れさせ、寄宿で舎つき

の学校にいれて 厳しく律する

教育を子供にほどこす

 

それが子供を成長させ、ひいては

国や社会の大事な基盤となることを

知っているからではなかろうか