鎌倉時代の名刀の鋼はとても美しいがその鋼はどのように作られたのかはわかっていない。
佐々木稔氏の2006年に出版した 鉄の時代史 という本を読んで考えが大分まとまってきました。
氏の 見解は 古墳時代から鎌倉時代までの日本の製鉄では 一貫して中国産の銑鉄から炭素量を落として鋼と軟鉄を製造してきたということにあります。
銑鉄の脱炭法は 炒鋼法といわれています。
銑鉄は 後世の水心子のはじめた卸鉄とは違う方法で脱炭していたようです。
脱炭剤として酸化鉄の、すなわち鉄鉱石や砂鉄の粉を使用した形跡があると発掘された鉄滓や鋼の金属学的分析から結論づけています。
もちろん銑鉄は小割りにして炭と一緒に酸化炎で焼けば炭素量が下がります。
近世の左下法です。
鎌倉時代までは左下法法ももちろんあったようです。
鉄鉱石をつかうのは量産で鋼をつくるときだけだったかもしれません。
炭と一緒にもやす酸化法はドームのある炉で大きめの炭と一緒に羽口から多目の空気をおくってもやされると鋼になってきます。
表面は軟鉄、次の層が鋼、一番内部がまだ銑鉄の入り交じった半溶融の塊ができるはずです。
それをとりだして鍛練し折り返しも数回行うと古刀の地鉄ができるはずです。
これは割りと単純な実験を繰り返すとうまく出来そうですが、どこで脱炭を止めるのかなど確定すべき条件が多くてかなり技術確立の面倒なものだと推定されます。
実験的製鋼を試行錯誤してみるのはきっとおもしろいでしょう。