第十一回「阪路の鳥」⑫ | 道草days

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まだまだ知らない”日本”に出掛けてみませんか?

 

 

続いて曲輪③から左へ。

 

 

 

この先にあるのが主郭になります。

 

 

ここから出石盆地を一望!登ってきた者だけが楽しめる絶景ですね~(・∀・)

 

 

織田に付く事で但馬に戻り、険峻な有子山に城を築いて再起を図る山名祐豊でしたが、その後は織田と毛利の間で板挟みとなります。

 

当初は三好という共通の敵を持ち、友好関係にあった織田と毛利でしたが、畿内における三好氏の権威の失墜、越前の平定(朝倉氏の滅亡)、本願寺の弱体化(越前や伊勢長島の一向一揆勢力の排除)、足利義昭の京追放を経て織田氏の次なるターゲットが西国の平定へと変化。

 

これによって播磨を境にバランスを保ってきた織田と毛利の関係が崩れ、更に備後・鞆の浦(毛利氏の勢力圏)に逃れた足利義昭によって信長包囲網が構築された為、一転して対立する構図になります。

 

そんな中、山名氏と敵対していた出雲尼子氏や備前浦上氏を織田氏が支援。危険に晒される事になった山名氏は織田氏との関係を断って毛利方と同盟を組みますが…これが悪手。

 

包囲網を破り、丹波や播磨と言った隣国を平定した織田氏が但馬に攻め入り、再び顔を合わせる事になった羽柴秀吉によって有子山城は落城。山名祐豊も間もなく病死し、戦国大名・但馬山名氏はここで滅亡する事になります。

※山名氏自体はその後、因幡山名氏の豊国が家督を継いで続いていきます。

 

 

 

土造りの城から石垣の城へ変貌したのはその後。

 

城主となった羽柴秀長が藤堂高虎に命じて有子山城を改修。より箔の付いた名城へと生まれ変わります。

 

 

しかし、時代の変化を受けて山城であった有子山城は廃城。山麓の出石城へと移って行ったわけですね。

 

 

そんな有子山城・出石城が残していったものが出石の城下町。

 

 

重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれてる素晴らしい町並みを残す観光スポットですね~(*´▽`*)

 

 

ここがメインじゃなくても城崎温泉に行くんならここも寄った方がいいし、ブレイク中の竹田城に行くんならここまで来た方がいいしでお城ファンのみならず本当にオススメ出来るスポットです。

 

とはいえ、今回はゆっくりする暇はあまりないので適当に散策。

 

 

 

まずは赤みのかかった特徴的な土壁の蔵を持つ出石酒造。

 

 

初見では絶対に読めない「楽々鶴(ささづる)」という銘柄を造ってるところです。

※由来は最後に出石藩主になった仙石氏の別荘・楽々園とコウノトリ=鶴から来てるようです。

 

 

また1つ知らない酒に出会ってしまったな。(*´з`)

 

 

最後の〆はやっぱりお蕎麦。

 

地元の人にオススメされた輝山(きざん)に入ります。

 

 

出石は元々蕎麦処では無かったらしいんですが、蕎麦処・信州上田より同地に転封された仙石氏によって蕎麦が広められたみたいです。

 

今では「出石そば」と呼ばれるほど有名な蕎麦処になってますよね。

 

 

 

さてさて、ここの特徴は白そばと黒そばの2種類のそばが楽しめるところ。

 

5皿で1セットで白黒楽しむと10皿になっちゃいますが、まあー全然いけますよ。d(゚∀゚)

 

 

出石来たのは2回目だけど…また来たいなー。