どーも
※2016/3/14のお話です。
ここからはグスクが出来た経緯を探ってみようと思います。
中世までの沖縄は大きく2つの時代に分けることでが出来ます。
・先史時代
・古琉球
大きな違いとしては農耕社会の成立が挙げられます。
狩猟採取が中心の時代では人は獲物を求めて住処を変えますが、農耕が中心の社会ではその土地に定住し、畑を耕すという違いが生まれるのです。
土地を開墾する労力(人手)が集落を生み、知識や技術を持った指導者とそうでない者との間に身分の差が生まれ、土地を巡って集落同士の争いが生まれる。
やがて人は集落を守る為に城の前身になるようなものを築く。
成り立ちとしては弥生時代のムラ(環濠集落)と同じでこれは沖縄のグスクにも当てはまる事だと思います。
でも、これだけだとグスクは単に集落を守る防御施設であればいいわけですが、それとは別にもう一つなくてはならない要素というものがあります。
それは御嶽(祭祀施設)を備えているという事。
沖縄の集落は図のような形で成立していったそうで祖先神を祀る聖域・御嶽(丘陵地の森など)を核として祭祀を行う広場、そして人々の暮らす集落があったそうです。
(御嶽は男子禁制で一部女性の人しか入れない為、祖先神と集落の人々が集い、祭りをする広場が必要みたいです。)
この図を見た上でもう1度今帰仁城の縄張図を見てみましょう。
類似している点がありますね。
御嶽のある曲輪・御内原の前に大庭と呼ばれる広場。しかもそれはグスクの核となるような位置にあります。(グスクの最も高所で主郭に隣接)
つまり人々にとってグスクは聖域を持つ祈りの場としての機能も持っていなければならなかったのです。
part.6へ続く。