![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/082.png)
![コーヒー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/258.png)
![クッキー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/260.png)
![ジンジャーブレッドマン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/261.png)
![ピンクマカロン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/265.png)
![マカロン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/266.png)
![ロールケーキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/269.png)
![スイーツ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/270.png)
![ショートケーキ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/272.png)
21 その時、ペテロがイエスのそばに来て尋ねました。「先生。人が私に罪を犯した場合、何回まで赦してやればいいでしょうか。七回でしょうか」。
22 イエスはお答えになりました。「いや、七回を七十倍するまでです」。
こちらは、喩え(たとえ)です。数など関係ない、何度でも赦すのみ、というJesusの教えです。
マルコによる福音書 11章 25
25 しかし、祈っている時、だれかに恨みをいだいていたら、まずその人を赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。
わたしは強い怒りと失望を抱いていたとき、があります。
2016年、夫と離婚調停を進めているときでした。
わたし自身は怒ることが好きではありません。
しかし、そのときのわたしは毎日、怒りと憎しみに満ち溢れていました。また、彼を忌み嫌い、怒りの感情を抱くこと、が正しいリアクションだと信じていました。彼を嫌いになろうと暗示をかけていた時期、でした。
当初、赦す、という選択肢はありませんでした。
そんな折、親友デイナが提案してくれました。
デイナ『彼の為に祈りましょう!』
わたしは、驚きました。
彼がおかした罪はわたしを大変、苦しめていたため、わたしは彼の為に何かする、という意識は皆無でした。
デイナの提案や彼女がわたしの悩みを聴いてくれる姿勢は『愛』にだけ、包まれていました。
そして、わたしはその出逢い、に大変、衝撃を受けました。
⋯引き続き。
『赦すこと』について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
宜しかったらお付き合い、どうぞ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180830/07/michikolivia/fd/71/j/o1080081014256971981.jpg?caw=800)
下記の抄訳はforgiving when it's not easy/Matthew J. White/からの抜粋です。
こちらの記事を書いたライターのマシューは言います。
多くの人は疑問に思います。
「そうは言っても、(聖句は上記のように教えるが)もし、私の配偶者が何か許しがたいことをしたら、私はどうしたらいいの?」と。
Jesusは、赦しが簡単であるとは話しておりません。しかし、彼は、私たちが何度も何度も、何度も、赦す必要がある、と言いました。
マタイの福音書第6章15節にはこう、あります。
「あなたが人の罪をゆるしていないならば、あなたの父はあなたの罪をゆるさないでしょう」。
マシューの告白。
長年にわたり、私はポルノ中毒と闘ってきました。
これはティーンエイジャーとして始まり、アン(マシューの妻)と私が結婚する前から存在していた問題で、結婚してからは本格的な中毒に進行していました。
それはもちろん、妻には内緒でしたし、他の誰にも打ち明けたことはありませんでした。
私は多くの個人的な苦痛を神へ告白した後、私の罪と中毒をアンに分かち合いました。
彼女に打ち明けるのにそれでも数年を費やしました。
それはまた、私の過去のいくつかの問題について言及する必要があることを意味しました。
しかし、その重圧が私の肩から下りたとき、それはアンにとって莫大な負担となりました。
長い間、私は彼女に嘘をついていました。
私は彼女に隠していた。私は何でもないふりをして、生きてきました。
私は偽善者でした。あらゆる権利においてアンは裏切られたように感じました。
彼女はそれから、どうやって私を信じることができたのでしょうか?
彼女はどれほど悲しんだのでしょう。
彼女は失望していた。
彼女は怒っていた。
彼女は傷ついた。
この時点で、アンは私から離れることを選ぶことも出来ました。
私は確かに "赦される"とは言えませんでした。
しかし、どんな人間も、神の赦しを受けなければならないときが来ます。
神様は私たちを愛しているので、私たちを赦してくださいます。
そして、それはまさにアンが私を赦してくれた理由です。
マシューの妻アンさんは神様を信じているからこそ、愛を持ってマシューの罪を赦そうと決断したのですね。
さて、赦しとは。
赦しとは、アンが敷物の汚れをパパっと掃除し、「私に知らせてくれてありがとう、じゃあ、もう二度とそれが再び起こらないようにしてね」と言い放って終わっただけ、ではありません。
赦しは「忘れる」こと、を意味するわけではありません。
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
わたしミミ個人のエピソードを少しだけ、シェアささせてください。
赦されているということは、あなたの配偶者が、赦しの行為を必要としていたことを忘れてはいけません。
赦しの行為とは、赦そうとする行いに反して生じる葛藤との闘い、自分の感情との闘い、傷ついたこころを抱きながら前進する勇気⋯、赦そうとする行いの中で生じるその他もろもろの『個人的な闘い』、です。
赦すということは簡単ではありません。
エゴが頭をもたげてきます。
被害者意識が生まれたりします。
人間は罪深いもので、自分もそんな人間のひとり。どなたをもジャッジ(判断)出来ない、という意識がある人とない人とでは、赦しを行う難易度にも違いが生じるでしょう。
また、状況に応じて、治癒の時間、ふたりの間にある信頼の再構築が必要になる場合が多いです。
赦しには、試練が付きまとうのです。
わたしは癒やしの時間に一年以上、かかりました。
日々、忍耐と辛抱の連続でしたが、それは彼も同じでした。
彼は180度変わる必要があった為、かなりの努力と辛抱、忍耐が必要だったと思います。
今までの癖や考え方を全て変えない限り、わたし達の結婚生活は破綻したままだった、でしょう。
カップルカウンセリング、パーソナルカウンセリングに何度も訪れました。
カップルカウンセリングでは、頭に血が上った夫が途中退室、なんてこと、もありました。
わたし達は未完成の人間ですから、多くの間違いをおかしながら日々、生活しています。
罪とは法律で罰せられるだけ、のものではありませんね。(罪に関しての詳細は別記事にて)。
過去に起きたあやまちを認めること。
もう二度と同じ罪は犯さないと決心し、悔い改めること。
自分の罪を認めざるを得ないとき、が人生の中で訪れる人、が居ます。
わたしはそうでした。
夫も、また、そうでありました。
あなたの罪は何でしょう?
こちらの記事を見つけました。
抜粋・聖書入門より。
毎年、『最も感動的な人物』賞を出している『ビリーフネット』という団体があります。2005年には、ニューヨーク州在住のヴィクトリア・ルヴォロという婦人がこの賞を受賞しました。
以下、受賞理由です。
ある日ヴィクトリアが車を運転していると、フロントガラスを突き破って9キログラムもある冷凍の七面鳥が飛び込んできました。犯人は、ライアン・クッシングという19歳の青年でした。彼は、盗んだクレジットカードを使って大量の買い物をし、仲間とともに帰ってくるところでした。面白半分に、冷凍の七面鳥を対向車に向かって投げつけたのです。ヴィクトリアは病院に運びこまれ、10時間に及ぶ顔の整形手術を受けました。それから何ヶ月間も、苦痛を伴うリハビリ訓練が続きました。
2005年10月17日、ライアンを裁く法廷に出廷したヴィクトリアは、判事に情状酌量を要請した後、犯人にこう語りかけました。
「確かに痛みと恐怖をともなう体験でした。でも、この事故を通して私は多くのことを学びました。毎朝目覚めると、自分が生かされていることを神に感謝しました。ライアン君、あなたもこの事故から多くの教訓を学んだと思います。私は復讐を願ってはいません。あなたに長期刑を科すことは、私にとっても、あなたにとっても、また社会にとっても、益になるとは思いません」
ライアンは涙を流し、自らの愚かな行為をわびました。判決は、6か月の懲役刑にとどまりました。もしヴィクトリアの要請がなければ、25年の刑が出されていてもおかしくない状況でした。
ヴィクトリアはこうも付け加えました。
「私はあなたに対して憐れみの心を示しました。あなたに、立派な人生を歩む人になって欲しいからです。そうなれば、私が通過した痛みの経験には意味があったことになるのです。ライアン君、どうか私の判断が正しかったことを立証する生き方をしてください」
本日も、読んでくださりありがとう!
あなたが悲しみや孤独から解放されることを祈ります。
In Jesus name,
Amen!