お久しぶりです😊
ここ最近、母のことを思い出すことがないまま過ごしていました。
頭の中から母の存在がなくなる事はひとときもなかったはずのに。不思議なもんです。
流れた時間がそうさせてくれたのだと思います。
過去のブログを振り返ると、当時の自分がどれだけ苦しかったか、いまだにはっきりと思い出すことができます。
当時は母のことを考えずに生きていくことなんて不可能だと思っていました。それぐらい頭の中が母の存在でいっぱいになっていたし、母にしてあげられなかったことの後悔ばかりが込み上げて、毎日もがくほど苦しくて。
そんな日々もありましたが、今は病状が安定したこともあり平穏な時間を過ごすことができています。
気持ちが穏やかになってきたと同時に、私の記憶の中の母の存在が確実に薄れていっていることを感じます。母の顔や声を鮮明に思い出すことができないし、母との思い出にうまくカーソルを合わせることもできません。
最近では母のことを思って涙を流すこともなくなりました。
感情を揺さぶられない分、苦しみを抱くことはないので以前より生きやすくはなっているはずなのですが、この状況はこの状況で、なんだか寂しいというか、私の人情は薄れたのかなあなど感じたりすることもあります。
また思い出して苦しい思いはしたくないですが、本当は母のことを1ミリも忘れたくなかったはずなのに…勝手に薄れていく記憶。
時間が経つと言う事は、こういうことなんですね。
当時と変わらない事は、やっぱり心の中にはいつも穴が空いていると言う事。自分の中の何かが欠けている自覚があること。それと、自分の感情が鈍麻しており特に、悲しみと言う感情を抱かなくなったこと、です。
その状態をベースに、それなりに穏やかで苦しみがない日々を送れています。
今、まだまだ苦しみのどん底にいらっしゃる方へ。
月日の流れとともにいつか、今の私のように気持ちが落ち着く日が必ず来るかと思います。
私は、もう一生地獄の底から這い上がることはできないと思うほどの苦しみを抱きながらこの数年生きてきました。
私は特別母と仲良しだったわけではありません。
ですが、母が癌だと発覚した瞬間から突然母を失う恐怖感に襲われました。
普段は母のことを煙たく思っていたし、母がいなくても生きていけると思っていました。
母という存在がこんなにもかけがえのない存在だったと言うことを、母がいなくなったこの現実が教えてくれました。
母を失ってあいた心の穴が大きすぎて、何度母の後を追うことを考えたかわかりません。
でも、今ようやくあの時死ななくてよかった、生きていて良かったと思えるほどに回復しています。
いくら後悔しても泣き叫んでも、死んでしまった母のために尽くせる事はもう何もありません。
その現実を受け止めることができた頃から泣くことが減ってきた気がします。
今私ができる事は、残された父や祖母のことを気にかけること、自分が懸命に生きる姿を亡き母に見せることだと思っています。それが、母にできる供養なのかと…最近は思っています
私の心の傷を癒してくれたのは、間違いなくこの子たちのおかげでもあります🐱
最近ハマっているオムネス。
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