子供たちを夫に託して遠方の実家に飛んで帰ってしまった私。
私は母親としてもしなくちゃいけないことがたくさんあるし仕事の3連休も終わるので帰らなくちゃいけないけど、母の元をどうしてもどうしても離れたくなかった。
子供たちのことももちろん心配だけど、いつどうなるかわからない母の元を離れることはできなかった。自分がどうするべきか葛藤した…
でも、帰らなきゃ…
そう思い、夫に母の状況を連絡した。
明日帰るね…
夫はゆっくり話を聞いてくれた。
そして
そんな状況なら、もうちょっとお母さんのとこいてあげたら?子供らは俺がなんとか見るよ!
せめて落ち着くまでしばらく付き添ってあげて!
俺のオカンにも協力してもらうしこっちは大丈夫や!
と、優しい言葉をかけてくれた。
子供たちとこんなに長い間離れたことなんてなくて不安だったけど、どうしても母の元を離れることができなかった私は、家事も育児もよく手伝ってくれる夫と義母に甘えることにした。
職場にも事情を説明し、休暇をいただけることになった。
そして母にそのことを伝えた。
夫よ、ありがとう。
子供たち、寂しい思いさせてごめんね。
私は、しばらく母のそばにいられることとなりホッとした。
それから私は毎日母の病室に通った。
面会可能時間である朝9時から夜20時まで母に付きっきりの日々が始まった。
そんな私を母は気遣ってくれて、
と言葉をかけてくれた。
付き添いという形ではあったけど、私は母と2人きりで一緒に過ごす時間なんて本当に本当に久しぶりだったから、不安でいっぱいな中でも母のそばに居られることに懐かしさや嬉しさ、特別な気持ちを感じた。
お昼ご飯は、私の分は売店で購入して母の昼食の時間に合わせて一緒に食べた。
私の売店で購入したご飯と母の病院食を交代したり、「これ、美味しいね」、とか、「これ、あんまり美味しくないね!笑」 とか言いながら楽しく食事した。
おやつはまた売店でデザートを買ってきて一緒に食べた。
母が昼寝してるときは、母の寝顔を見つめながら、私も椅子でうとうとしていた。
毎日毎日、高熱が続いていた母。
汗をかいたら体を拭いてあげて、1日何回も着替えさせてあげた。
日に日に母の体力がなくなっているのは
そばで見ていてすぐにわかった。
消灯時間になると
じゃあまた明日くるね😊と別れを告げ、ギュッと握手をして、笑顔で帰った。
母の前では笑顔でいられるよう頑張っていた。
でも帰りの車の中では不安に耐えきれず一人で号泣していた。
お母さん、がんばって‼️
お願い…神様。
お母さんを助けてください。
毎日、祈りながら運転していた。
そして自宅に着いたら、父の分と私の分の夜ご飯を作って、2人で静かに食事した。
そんな毎日が続いた。