ダダが天国に行って
10日がたった。


やっと
体に

お腹空いた
という

感覚が
戻ってきた。




ダダは
私の誕生日に
天国に行ってしまった。


それを聞いた人は
どうしてそんな日に。。。
と言う。



でも
私はびっくりしない。


だって
私たちは
結婚した日と
同じ日に
離婚したし

家族がみんな
数字で
繋がってるから。



りゅうちぇるさんが
亡くなった時も
息子さんの誕生日翌日で
みんな
同じように
残された家族を
かわいそがったよね。


それは
きっと

誕生日
という
この世に命が誕生した
お祝いする事と
亡くなる
という
この世から命がなくなってしまう
悲しすぎる事と
正反対のことが
同時に起こるからよね。

でも不思議よね。

そういう時って
必ず
おめでたいことを
優先してるから
悲しすぎることが起こると

こんな日になぜ!

って
なる。

でも
それじゃ
亡くなった人が
気の毒じゃない?




あの日
ダダの心臓が止まってしまった
その時、
私は
ダダとした
大昔の
アメリカ横断の旅の事を
生徒さんとお話していた。

その日の夜中
おもちゃの新幹線が鳴ったし🚄

翌日
学校が終わって
息子ちゃんに
ダダのことを伝え
夜、
息子ちゃんと
ダダの話をしていた時も
新幹線が鳴ったし🚄

ちゃんと
お知らせしてくれて
会いに来てくれたんだと思う。



私は
ダダは
誰にも忘れて欲しくないから
私の誕生日を
選んだんだと思う。


だから
私は
私の誕生日が
私の誕生日だけでなく
毎年ダダの事を忘れないための
もっと
特別な日になったと
思えるんだよ。


命がなくなってしまう日は
とても悲しい日になってしまうけれど
でも
その人が
一生懸命生きてきた命を
その人との関わりを
その人の存在を
忘れないように
思い出すための日
となるはず。

体はここにいなくなっても
その人の存在を
思い出して
考えているだけで
きっと
その想いも
届く気がするんだよ。


だから
お祝いごとの方ばかりを
優先せず
悲しすぎることが起こってしまった日だって
同じくらい
大切な日なんだよ。


敬礼する日なんだよ。