みんな持ってる三つの顔


それは

公的な顔(緊張している私)
私的な顔(少しリラックスの私)
真実の顔(本当にリラックスの私)

らしい。
*(  )の中は私個人的な表現


私は
20歳くらいの時に
この事について
考えていた。

どこにいて
何をしていて
誰といるかで

どの顔をするのかを変える。。。



それ、
面倒くさくない?
する必要ある?
どうして
その時々で違う自分だけ
にならないといけないのかな。
いつも同じ全部の自分じゃダメなの?
いちいち分けなくてもいいよね
と
思ったのを覚えている。





人は
元々沢山の顔を持っているのだかから
それが
自然に出てくるものであって

この時にはこの顔をする

と
してしまうのは
決まりと制限を作り
不自然になり
苦しくなるはず。



元々持っている
沢山の顔を
それぞれバラけさせて

"違う自分"
"もう一人の自分"
にして
その自分だけでいる事が
私にはできなかった。

私にはそれが
とても変に感じたし
とても難しかった。


この時はこの顔をする
って言う決まりを
覚えるのも嫌だし、
覚えれない😆

そういう事を覚えておける
脳みそがなかった。。😣😖😆😆



だって
タンスに沢山引き出しがあるのに
わざわざ
引き出しを取り出して
置いておいて
それを
これもタンス
これもタンス
これもタンス
と呼んでいる感じと
同じだから。

引き出しは
タンスの一部であって
タンスじゃない。


でも
一つの引き出しだけで
これが私です
とするから
その私ではない
引き出しが出てきた時に

この人、こんな人だったの
そんなはずないよ
となる。



タンスという本体の中に
引き出しが元々
沢山あるのだから

引き出しが沢山あるのが元々の私で
それが全部で私で
そのままが私。

だから
いつもどこにいても誰といても
その時の状況により
引き出しから
色んな自分が出てきていいはず。




それが自然だよね。




だって私たちはタンスなんだから
😳😳🤣🤣🤣🤣