前回の・・・
金も血液もよどみなく流れていなくてはいけない
・・・の続き
ここのところ、自民が選挙で負け続けた大きな要素が裏金問題などの政治資金スキャンダルとされるがこれについて考察してみる
人体で血液に当たるものが国家では「金」だと申し上げた
さてここでこのことについての架空のたとえの話をしよう
あるときあるところで選挙があった
国家を運営する心臓部に集まるわれらが代表を選ぶに際し「頑張ろう分子」が集結し見事当選成し遂げて万歳の連呼、、よかった、よかった、、ありがとう、ありがとうの歓喜の中、「皆さんのご苦労をねぎらいたい、一度花見を催しますので是非いらしてください」の招待が・・・・
「頑張ろう分子」とて腹の底では「俺たちもよくやった、がんばった、、これぐらいのご相伴に預かったとて罰は当たるまい・・と、なって・・・裏金が使われたとする
この裏金、、人体の血液に例えれば静脈を流れる(いわゆる汚れたとされる)血、、である
私はここでこの血の是非、汚れ具合を論ずることはない
私は主張する・・・・動脈を流れるのがきれいな血、静脈を流れるのが汚れた血、、どちらも人体にはあるべきものであり、なくてはならないものである ・・・ということ
大事なことは―私の言いたいこと―ここに登場した人たちはみな健康体であり、善人だということ
健康な血管を持ち健康な血液が流れている人たちなのだ
健康体であればこそ百八つの煩悩・欲望を宿すことができるのであり、だからこそ、酒も飯もうまいし、花・桜をめでることもできるのである
一方、私のように、、棺桶に片足突っ込んでいるような虚弱、老弱な身の上では・・・・・
たとえ・・・
ほんとうに・・・
例えばですが、、、
ホント・・・にですよ
たとえ・・・
こんな・・・・・・・・・・・・・
・
・
・
使いがあったとしてもですよ・・・・・
猫に小判でしかないのでして・・・・・(号~泣)
いただけるものは何もないわけでして・・・・
(酒だけはもう少しいただけますが・・・)
・・・・と、まあ冗談はこれくらいにして・・・・
およそ日本の社会というのは健康体を去勢していく社会のように思う
この30年を総括すればこの表現がよくあたっていると思える
元気なもの、活力あるものをおとなしくさせる方向にばかり熱心である
今の日本の衰退の本質と思える

