Ⅰ Ⅱ の続き
アメリカ公演の大成功
イギリス最大の輸出品たるビートルズ・・・
おかげで外貨不足をまぬかれた・・・ニュースは伝えた
その功績に対して大英帝国勲章が与えられた
対して・・・・ジョン
彼らは人を殺して手に入れた
僕たちは人を殺さずに手に入れた
しかしこのころから彼らの環境には厳しさが増してきていた
記者団からの意地の悪い質問が飛ぶようになった来ていた
マネージャーのブライアン・エプスタインは政治的な質問には答えないように忠告したが、彼らはまだ20代、若かった
質問をかわし切れなかった
僕たちは戦争が好きじゃない、そうとしか言えない
そして、アジアツアーで彼らのストレスはマックスに達する
日本では・・・
武道館を使うことで。。。。
右翼と警官隊が衝突
ホテルに缶詰め
フィリピンでは・・・・大統領夫人の食事会をすっぽかして暴動に・・・
出演料を放棄してなんとか出国
ジョンのキリスト発言でも・・・
各地で騒乱が・・・
釈明に追われる
そして、コンサートになれば、相変わらずの騒乱状態で誰にも聞こえていない状態にほとほと嫌気がさしていた
これ以上の公演は無理・・・・と
サンフランシスコ・・・ここを最後と決めた
そして、、ビートルズ最後の公演の最後の曲に選んだのが「のっぽのサリー」であった
ポールの回想
あの日ジョンに出会わなかったら
僕があの曲のコードをしらなかったら・・・
僕は小さなパブバンドで演奏していたかもしれない
僕らは60年代の一部だったけど・・・
でも多くの人にとっては・・・
ビートルズこそがすべてだった
NHK 映像の世紀 バタフライエフェクト
ビートルズの革命 赤の時代
『のっぽのサリー』が起こした奇跡
・・・・より切り出してみました































