やっと、風がないだ。昨日、新年になって初めて漁に出た。5㎏。一万円弱。量、金額はともかく、操業が一時間に制限されているので健康のための運動と考えれば理想的である。
新年同窓会で話題になったことについて話そう。大阪ダイハツで新車開発のデザイン部門にいたのがいて、車開発の話からこんな話になっていった。
私らも高齢者の仲間入り。高齢者による事故の多発から、免許返納者が増えている。
田舎では車無しでは生活できない。
飲酒運転はできなくなった。福岡のあの事故以来。
この際言わせてもらう。いまの道交法は悪法だと。(飲酒運転を禁止する)あの法律がいかに日本を、日本の経済を委縮させているか。以前なら、外出して飲まずに帰ることはなかった。それ以上に飲むための外出でもあった。あれ以来、全く外へ出ることがなくなった。私だけではないはずである。日本国中がそうであるに違いない。
ネオン街が栄えていた。学歴もない、資格もない、技術もない、頼る人もない、もちろん財産もない人たちでも、収入を得られる場があった。収入があれば、うまいものが食べられる、服が買える、家が借りられる、新築できる、改築できる、大工、左官、畳や、瓦や、電機や、水道や・等・等・・仕事が入ればお金が入る。今日も行こうよ愛宕町、となる。社会の隅々までお金が回っていた。日本の経済はこれでうまくいっていた。その循環をあの法律が断ち切ってしまった。アベノミクスの成否はこの辺にありそうだ。
私が気に入らないのは飲酒運転に対して、取り締まり、罰則の強化で対応し、只々、それでよし、それが正義であるとする風潮なのだ。これはあくまで応急措置であり、本当の正解、向かうべき方向は別にあることを理解しなければいけない。
というと?……自動運転・・・か。
自動運転車。すぐにできます。むつかしくありません。
完全自動運転。そんなものは必要ない、ぶつかりさえしなければよいのだ。車は人間にとっての道具であるべきであり、それ以上のものである必要はないのだ。人を傷つけることのない車を作ればそれでよい。無免許でも飲酒でも認知症の人でもハンドルが握れる、そんな車を作ることが正解なのであり、私たちの向かう方向でなければいけないのだ。
危険なものは禁止。日本人はどうしてもこの方向に走ってしまう。社会を窮屈なほうへばかり追いやろうとしてしまう。
後の世代のためにかつてのゆったりとした社会の実現のためにもうひと働きしようではないか。その時のための法整備をいそがなくては。そのためにはまず、みんなの意識を変えるところから始めなくてはいけない。
これらの意見は今の時代、不謹慎・非常識と云われるでありましょう。しかし、その非常識を常識に変えてきたのが人類の進歩そのものではなかったでしょうか。私はそう思うのです。
世界に先駆けて、そんな社会の実現を!
安倍さん、おねがい!